・・・その頃村山龍平の『国会新聞』てのがあって、幸田露伴と石橋忍月とが文芸部を担任していたが、仔細あって忍月が退社するので、その後任として私を物色して、村山の内意を受けて私の人物見届け役に来たのだそうだ。その時分緑雨は『国会新聞』の客員という資格・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
時間的に人事の変遷とか、或は事件の推移を書かないで、自分の官能を刺戟したものを気持で取扱って、色彩的に描写すると云うことは新らしき文芸の試みである。 だから、それは時間的と云うよりは寧ろ空間的に書くことになる。元来これは絵画の領域・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ 文芸が趣味であり、また、単に自己享楽のためであり、若しくは、芸であると解する人々は、いかに理窟を言っても、根性の底に、昔の幇間的態度の抜けないのを見る。それは文芸の隆盛な時代は、大概太平な時代であったからである。そして、芸術が享楽階級・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・そして、日本の文芸にはこの紋切型が多すぎて、日本ほど亜流とマンネリズムが栄える国はないのである。 私はかねがね思うのだが、大阪弁ほど文章に書きにくい言葉はない。たとえば、大阪弁に「そうだ」という言葉がある。これは東京弁の「そうだ!」と同・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・もっとも、私は六年前処女作が文芸推薦となった時、「この小説は端の歩を突いたようなものである」という感想を書いたが、しかし、その時私の突いた端の歩は、手のない時に突く端の歩に過ぎず、日本の伝統的小説の権威を前にして、私は施すべき手がなかったの・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・仕方なしに一番安い文芸雑誌を買う。なにか買って帰らないと今夜が堪らないと思う。その堪らなさが妙に誇大されて感じられる。誇大だとは思っても、そう思って抜けられる気持ではなかった。先刻の古本屋へまた逆に歩いて行った。やはり買えなかった。吝嗇臭い・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・ 三 文芸と倫理学 人生の悩みを持つ青年は多くその解決を求めて文芸に行く。解決は望まれぬまでも何か活きた悩みに触れてもらいたいために小説や、戯曲に行く。それはもとより当然である。文芸はこの生の具象的な事実をその肉づけ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・また文芸や、映画でその種々相に触れずにもいないわけである。だが結局は自分の胸にわいてくるイメージと要請とをもって、自分たちの恋の世界を要求し、つくり出すべきだ。 今日の文芸や、映画に出てくる恋愛が不満ならば恐れずその不満を持て。それはむ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・十五年十一月、文芸戦線同人となった。それ以来、文戦の一員として今日に到っている。短篇集に、「豚群」と「橇」がある。 黒島伝治 「自伝」
・・・イヤでも黴臭いものを捻くらなければ、いつも定まりきった書物の中をウロツイている訳になるから、美術だの、歴史だの、文芸だの、その他いろいろの分科の学者たちも、ありふれた事は一ト通り知り尽して終った段になると、いつか知らぬ間に研究が骨董的に入っ・・・ 幸田露伴 「骨董」
出典:青空文庫