・・・ かれこそ、厳粛なる半面の大文豪。世をのがれ、ひっそり暮した風流隠士のたぐいではなかった。三十四歳で死したるかれには、大作家五十歳六十歳のあの傍若無人のマンネリズムの堆積が、無かったので、人は、かれの、ユーゴー、バルザックにも劣らぬ巨匠・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・ 十九世紀のヨオロッパの文豪たちも、幼くしてこの絵を見せられ、こわき説明を聞かされたにちがいない。「われを売る者、この中にひとりあり。」キリストはそう呟いて、かれの一切の希望をさらっと捨て去った、刹那の姿を巧みにとらえた。ダヴィンチ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・母は笑いながら、「文豪も、風邪をひいている時には、いい考えが浮びません。兄さんに代ってもらったらどう?」「だめだよ。兄さんなんか、だめだよ。兄さんにはね、才能が、無いんですよ。兄さんが書くと、いつでも、演説みたいになってしまう。」「・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ フランス文学では、十九世紀だったらばたいてい皆、バルザック、フローベル、そういう所謂大文豪に心服していなければ、なにか文人たるものの資格に欠けるというような、へんな常識があるようですけれども、私はそんな大文豪の作品は、本当はあまり読ん・・・ 太宰治 「わが半生を語る」
・・・大きければ大きいほど、こういう事件の持ち上がる確率が大きいようである。 文学上の作品などでも、よくこれに類した「剽窃問題」が持ち上がる事がある。大文豪などはほとんど大剽窃家である。 哲学者科学者皆そうである。アリストテレースなどは贓・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・甚だ杜撰なディレッタントの囈語のようなものであるが、一科学者の立場から見た元禄の文豪の一つの側面観として、多少の参考ないしはお笑い草ともならば大幸である。 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・とか「作品はあまりないが大文豪」とか「研究は発表しないがえらい科学者」とかいうものもやはり一種の透明不可視人間かもしれないのである。 十三 政治と科学 日本では政事を「まつりごと」と言う。政治と祭祀とが密接に結合して・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・自分も偶然に津田君の画とこの露文豪のある作品との間に共軛点を認めさせられている。殊に彼の『イディオット』の主人公の無技巧な人格の美に対して感じるような快感を津田君の画から味わい得られる。そして真率朴訥という事から出て来る無限の大勢力の前に虚・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題にも何もならなかった。むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである。先生が大家にならなかったら少なくももっと長・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 藤村の文豪としての在りかたは、例えてみれば、栖鳳や大観が大家であるありかたとどこか共通したものがあるように思う。大観、栖鳳と云えば、ああ、と大家たることへの畏服を用意している人々が、必ずしも絵画を理解しているとは云えないのと同じである・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
出典:青空文庫