発端 肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。 ところが寛文七年の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・自分たち五六人は、機械体操場の砂だまりに集まって、ヘルの制服の背を暖い冬の日向に曝しながら、遠からず来るべき学年試験の噂などを、口まめにしゃべり交していた。すると今まで生徒と一しょに鉄棒へぶら下っていた、体量十八貫と云う丹波先生が、「一二、・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・いつなりけん、途すがら立寄りて尋ねし時は、東家の媼、機織りつつ納戸の障子より、西家の子、犬張子を弄びながら、日向の縁より、人懐しげに瞻りぬ。 甲冑堂 橘南谿が東遊記に、陸前国苅田郡高福寺なる甲冑堂の婦人像を記せるあり・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 津々浦々到る処、同じ漁師の世渡りしながら、南は暖に、北は寒く、一条路にも蔭日向で、房州も西向の、館山北条とは事かわり、その裏側なる前原、鴨川、古川、白子、忽戸など、就中、船幽霊の千倉が沖、江見和田などの海岸は、風に向いたる白帆の外には・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・「まアあなたは親切な人ですことね……お増は蔭日向のない憎気のない女ですから、私も仲好くしていたんですが、この頃は何となし私に突き当る様な事ばかし言って、何でもわたしを憎んでいますよ」「アハハハ、それはお増どんが焼餅をやくのでさ。つま・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 汽車が日向駅を過ぎて、八街に着かんとする頃から、おはまは泣き出し、自分でも自分が抑えられないさまに、あたり憚らず泣くのである。これには省作もおとよもほとんど手に余してしまった。なぜそんなに泣くかといってみても、もとより答えられる次第の・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・八 その翌朝、同宿の者が皆出払うのを待って、銭占屋は私に向って、「ねえ君、妙な縁でこうして君と心安くしたが、私あ今日向地へ渡ろうと思うからね、これでいよいよお別れだ。お互に命がありゃまた会わねえとも限らねえから、君もまあ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・いま引いた文章にも書いてある通り、おれとお前の関係はこの船場新聞にはじまって以後いわば蔭になり日向になり、おれはお前を助けて来たのだ。早い話が、この時もしおれが居なければ、あの新聞は四号で潰れていたところだ。当時お前も、「――古座谷さん・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、日向のなかへ出て行くのをじっと待っているのも楽しみなものだ。オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。「そんな病弱な、サナトリウム臭い風景なんて、俺は大・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・時どき彼らは日向や土の匂いのするようなそこの子を連れて来て家で遊ばせた。彼も家の出入には、苗床が囲ってあったりする大家の前庭を近道した。 ――コツコツ、コツコツ――「なんだい、あの音は」食事の箸を止めながら、耳に注意をあつめる科で、・・・ 梶井基次郎 「雪後」
出典:青空文庫