・・・退院まで四十日も掛り、その後もレントゲンとラジウムを掛けに通ったので、教師をしていた間けちけちと蓄めていた貯金もすっかり心細くなってしまい、寺田は大学時代の旧師に泣きついて、史学雑誌の編輯の仕事を世話してもらった。ところが、一代は退院後二月・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・大津は何と思ったかその旧師を招かなかった。「貴様はどうじゃ?」「大津の方からこの頃は私を相手にせんようですから別に招もしません」「招んだって行くな。あんな軽薄な奴のとこに誰が行く馬鹿があるか。あんな奴にゃア黒田の娘でも惜い位だ!・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ この帰省中に日蓮は清澄山での旧師道善房に会って、彼の愚痴にして用いざるべきを知りつつも、じゅんじゅんとして法華経に帰するようにいましめた。日蓮のこの道善への弟子としての礼と情愛とは世にも美しいものであり、この一事あるによって私は日蓮を・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・そして、旧師に対するような態度がちっともなかった。運動をやっている者は、先生だって、誰だって悪いというような調子だ。傍で見ても小面が憎かった。彼は、三人のあとから、山の根の運び出した薪を散り/\に放り出してある畠のところまでついて来た。・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
・・・この頃になって、自分に親しかった、そうして自分の生涯に決定的な影響を及ぼしたと考えらるるような旧師や旧友がだんだんに亡くなって行く、その追憶の余勢は自然に昔へ昔へと遡って幼時の環境の中から馴染の顔を物色するようになる。そういう想い出の国の人・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・ しかし多くの人が自らその学校生活の経験を振り返って見た時に、思い出に浮かんで来る数々の旧師から得たほんとうにありがたい貴い教えと言ったようなものを拾い出してみれば、それは決して書物や筆記帳に残っている文字や図形のようなものではなくて、・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ただ旧師マードック先生から同じくこの事件について突然封書が届いた時だけは全く驚ろかされた。 マードック先生とは二十年前に分れたぎり顔を合せた事もなければ信書の往復をした事もない。全くの疎遠で今日まで打ち過ぎたのである。けれどもその当時は・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・は教員養成所の老猾な旧師を中心に、若い人々の真摯な探求心を殺し、卑屈な人生の出発をよぎなくされた青年の苦悩を真面目にとりあげている。 けれども、文学の作品とすると、もうすこし主人公の、よりよく生きたいと希う人間らしい心もちそのものの中か・・・ 宮本百合子 「選評」
出典:青空文庫