・・・ 三十分ばかりたった後、僕は或ビルディングへはいり、昇降機に乗って三階へのぼった。それから或レストオランの硝子戸を押してはいろうとした。が、硝子戸は動かなかった。のみならずそこには「定休日」と書いた漆塗りの札も下っていた。僕は愈不快にな・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・そして手を洗ってから昇降機で一階まで降りると、いつの間に降りていたのか、マダムは一階の昇降機の入口に立って済ました顔でこちらを睨んでいた。そして並んで四ツ橋を渡り、文楽座の表まで来ると、それまでむっと黙っていた彼女は、疳高い早口の声で、・・・ 織田作之助 「世相」
・・・今は、蟻のような孔だらけの巨大な山の底にいる。昇降機がおりて来る竪坑を中心にして、地下百尺ごとに、横坑を穿ち、四百尺から五百尺、六百尺、七百尺とだん/\下へ下へ鉱脈を掘りつくし、現在、八百尺の地底で作業をつゞけている。坑外へ出るだけでも、八・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・この窟地理の書によるに昇降およそ二町半ばかり、一度は禅定すること廃れしが、元禄年中三谷助太夫というものの探り試みしより以来また行わるるに至りしという。窟のありさまを考うるに、あるいは闊くなりあるいは狭くなり、あるいは上りあるいは下り、極めて・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・さらにまたその平均水準の上下に昇降する週期的変化の「振幅」がやはり人によって色々の差があり、ある人は春秋の差がそれほど大きくないのに、ある人はそれが割合に大きいという風な変異があるものとする。 数式で書き現わすと、この問題の分泌量Hがざ・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・たとえば験潮儀に記録されたある港の潮汐昇降の曲線をレコード盤に刻んでおいてこれを蓄音機にかければ、たぶんかなりな美しい楽音として聞かれるであろう。そうしてその音の音色はその港々で少しずつちがって聞こえるであろう。それでこのようにして「潮汐の・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ 二 エレベーター 百貨店のひどく込み合う時刻に、第一階の昇降機入り口におおぜい詰めかけて待っている。昇降箱が到着して扉が開くと先を争って押し合いへし合いながら乗り込む。そうしてそれが二階へ来ると、もうさっさと出てし・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ 地球物理学上の近年の問題となっている陸塊の水平移動に関する学説、俗に大陸漂移論と称するものから見た日本陸地の成立、変化、ならびにこれに連関して問題となるべき陸地の昇降、地震、火山現象等を追究するに当たって、しばしば古い過去における水陸・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・ 次の日はポツオリに行って腹立たしくうるさい案内者に悩まされながらセラピスの寺の柱に残る地盤昇降の跡を見、ソルファタラ旧火口の噴煙を調べ、汚い家でスパゲッティの昼食を食って、帰りの電車で、贋銀貨をつかまされた外にはあまり人間味のある記憶・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ 自分が用のあるのは大概五階か六階であるから、多くの場合にすぐ昇降機で上ってしまう。しかし、時にはすべての階をすみからすみまで歩かせられる事もある。歩いてみるとやはり歩いてみるだけの価値は充分にある。ずいぶんいろいろの物を覚えいろいろの・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
出典:青空文庫