・・・思案に尽きて終に自分の書類、学校の帳簿などばかり入て置く箪笥の抽斗に入れてその上に書類を重ねそして鍵は昼夜自分の肌身より離さないことに決定て漸っと安心した。 床に就たと思うと二時が打ち、がっかりして直ぐ寝入って終った。 五月十六日・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・彼はあわただしい法戦の間に、昼夜唱題し得る閑暇を得たことを喜び、行住坐臥に法華経をよみ行ずること、人生の至悦であると帰依者天津ノ城主工藤吉隆に書いている。 二年の後に日蓮は許されて鎌倉に帰った。 彼は法難によって殉教することを期する・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・…… それから一週間ほど、それ等の汚れた豚は昼夜わめきつづけていたが、ついに、一ツ一ツばた/\斃れだした。 野に放たれ騒いだ豚は、今、柵の中でおとなしく餌を食っている。 主謀者がその後どうなったか? いや、彼等は、役人に反抗・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・坑外では、製煉所の銅の煙が、一分間も絶えることなく、昼夜ぶっつゞけに谷間の空気を有毒瓦斯でかきまぜていた。坑内には、湿気とかびと、石の塵埃が渦を巻いていた。彼は、空気も、太陽も金だと思わずにはいられなかった。彼は、汽車の窓から見た湘南のうら・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・三昼夜かかって、やっと秋田県の東能代までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。「海は、海の見えるのは、どちら側です。」 私はまず車掌に尋ねる。この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐っ・・・ 太宰治 「海」
・・・ 甲府で二度目の災害を被り、行くところが無くなって、私たち親子四人は津軽に向って出発したのだが、それからたっぷり四昼夜かかってようやくの事で津軽の生家にたどりついたのである。 その途中の困難は、かなりのものであった。七月の二十八日朝・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ば、青森県の裏口からはいって行って五所川原駅で降りて、それからいよいよ津軽鉄道に乗りかえて生れ故郷の金木という町にたどり着くという段取りであったのですが、思えば前途雲煙のかなたにあり、うまくいっても三昼夜はたっぷりかかる旅程なのです。トマト・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・三十分というのはウィーンのウィリー・ガガヴチューク君の手に帰した。三昼夜と七時間半も踊りつづける間に、睡眠はもちろん不可能であるが、食事や用便はどういうふうにしたものか聞きたいものである。 これに似たのでは八十二時間ピアノをひき通したと・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・例えば昼夜の交代太陽の運行を観測した時に地球が動いているとするか太陽が動いているとするかはただこれだけの現象の説明をするにはいずれでも差しつかえはない。しかし太陽が地球の周囲を動いているとすると外の遊星の運動を非常に複雑なものと考えなければ・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・そこでは「昼夜」はあるが季節も天気もない。 温帯における季節の交代、天気の変化は人間の知恵を養成する。週期的あるいは非週期的に複雑な変化の相貌を現わす環境に適応するためには人間は不断の注意と多様なくふうを要求されるからである。 そう・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
出典:青空文庫