・・・ 眼千両と言われた眼は眼蓋が腫れて赤くなり、紅粉はあわれ涙に洗い去られて、一時間前の吉里とは見えぬ。「どうだね、一杯」と、西宮は猪口をさした。吉里は受けてついでもらッて口へ附けようとした時、あいにく涙は猪口へ波紋をつくッた。眼を閉ッ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・其飲食遊戯の時間は男子が内を外にするの時間にして、即ち醜体百戯、芸妓と共に歌舞伎をも見物し小歌浄瑠璃をも聴き、酔余或は花を弄ぶなど淫れに淫れながら、内の婦人は必ず女大学の範囲中に蟄伏して独り静に留守を守るならんと、敢て自から安心してます/\・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ どうぞあなたの貴重な時間の十五分間をわたくしに御割愛なさって下さいまし。ちょうど夫は取引用で旅行いたしまして、五六日たたなくては帰りません。明晩までに、差出人なしに「承知」と云う電信をお発し下さいましたら、わたくしはすぐにパリイへ立つ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・葉がくれにちらちらして居る所、即ち作者は森の影を踏んでちらちらする葉隠れの月を右に見ながら、いくら往ても往ても月は葉隠れになったままであって自分の顔をかっと照す事はない、という、こういう趣を考えたが、時間が長過ぎて句にならぬ、そこで急に我家・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人の農場、苫小牧、白老のアイヌ部落、室蘭、ああ僕は数えただけで胸が踊る。五時間目には菊池先生がうちへ宛てた手紙を渡して、またいろいろ話された。武田先生と菊池先生がついて行・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・配給と買出しにしばられて、会合に出席する時間さえもてないでいる主婦たちの毎日が、どんなに凌ぐに張合あるものとなって来るだろう。大小の軍需成金たちは、戦時利得税や、財産税をのがれるために濫費、買い漁りをしているから、インフレーションは決して緩・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・かれらは一時間ばかりの間、言い争った。アウシュコルンは自分で願って身躰の検査を求めた。手帳らしきものも見いだされなかった。 ついに市長は大いに困ってその筋に上申して指揮を仰ぐのほかなしと告げて席を立った。 この事件のうわさはたちまち・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・応募脚本を読んでいる時間はない。そんな時間を拵えるとすれば、それは烟草休の暇をそれに使う外はない。 烟草休には誰も不愉快な事をしたくはない。応募脚本なんぞには、面白いと思って読むようなものは、十読んで一つもあるかないかである。 それ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・それに「二十四時間賜暇」と書いてあった。 それから押丁がツァツォツキイを穴倉へ連れて往って、胸の小刀を抜いてくれた。 ツァウォツキイは早速出発して、遠い遠い道を歩いた。とうとうノイペスト製糸工場の前に出た。ツォウォツキイは工場で「こ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・次ぎの日には、次ぎの日の段階が必ずなければ、時間というものは何のためのものでもない。 私は作品を書く場合には、一つ進歩した作品を書けば、必ず一つは前へ戻って退歩した作品を書いてみる習慣をとっている。そうでなければ次ぎの進歩が分りかねるか・・・ 横光利一 「作家の生活」
出典:青空文庫