・・・と後日の再訪を求めて打切られるから、勢い即時に暇乞いせざるを得なくなった。随って会えば万更路人のように扱われもしなかったが、親しく口を利いた正味の時間は前後合して二、三十分ぐらいなもんだったろう。 が、沼南の「復たドウゾ御ユックリ」で巧・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・病気見舞を兼ねて久しぶりで尋ねると、思ったほどに衰れてもいなかったので、半日を閑談して夜るの九時頃となった。暇乞いして帰ろうとすると、停車場まで送ろうといって、たった二、三丁であるが隈なく霽れた月の晩をブラブラ同行した。 満月ではなかっ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・尾崎は重なる逐客の一人として、伯爵後藤の馬車を駆りて先輩知友に暇乞いしに廻ったが、尾行の警吏が俥を飛ばして追尾し来るを尻目に掛けつつ「我は既に大臣となれり」と傲語したのは最も痛快なる幕切れとして当時の青年に歓呼された。尾崎はその時学堂を愕堂・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・あれはいつだったっけ、何でも俺が船へ乗り込む二三日前だった、お前のところへ暇乞いに行ったら、お前の父が恐ろしく景気つけてくれて、そら、白痘痕のある何とかいう清元の師匠が来るやら、夜一夜大騒ぎをやらかしたあげく、父がしまいにステテコを踊り出し・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・「次郎ちゃん、番町の先生のところへも暇乞いに行って来るがいいぜ。」「そうだよ。」 私たちはこんな言葉をかわすようになった。「番町の先生」とは、私より年下の友だちで、日ごろ次郎のような未熟なものでも末たのもしく思って見ていてくれる・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・いよいよみんなに暇乞いして停車場の方へ行く時が来て見ると、住慣れた家を離れるつもりであの小山の古い屋敷を出て来た時の心持がはっきりとおげんの胸に来た。その時こそ、おげんはほんとうに一切から離れて自分の最後の「隠れ家」を求めに行くような心地も・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・あれはただの訪問でもなくて、この世の暇乞いであったのだと気がついた。 お三輪は驚きもし、悲みもした。彼女自身が今は同じように、それとなく親しい人達への別れを告げて行こうとしていたからである。明日もあらば――また東京を見に来る日もあらば―・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ 沢や婆は、一軒ずつ暇乞いに歩いた。「私ももうこれでおめにかかれませんよ、こう弱っちゃあね」 ごぼごぼと咳をした。「どうも永年御世話様でございました」 彼女がもう二度と来ないということは、村人を寛大な心持にさせた。「・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 四月十七日の朝、長十郎は衣服を改めて母の前に出て、はじめて殉死のことを明かして暇乞いをした。母は少しも驚かなかった。それは互いに口に出しては言わぬが、きょうは倅が切腹する日だと、母もとうから思っていたからである。もし切腹しないとで・・・ 森鴎外 「阿部一族」
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ回されることであった。それを護送するのは・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫