・・・仏蘭西の地層から切出した石材のヴェルサイユは火事と暴風と白蟻との災禍を恐るる必要なく、時間の無限中に今ある如く不朽に残されるであろう。けれども我が木造の霊廟は已にこの間も隣接する増上寺の焔に脅かされた。凡ての物を滅して行く恐しい「時間」の力・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・ 道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかっ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又あの子供の助手が尤らしい顔つきで腕を拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして『それで・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・よい暴風。雨春と冬との変りめ生暖い二月の天地を濡し吹きまくる颱風。戸外に雨は車軸をながし海から荒れ狂う風は鳴れど私の小さい六畳の中はそよりともせず。温室の窓のように若々しく汗をかいた硝子戸の此方にはほ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・は当日の暴風と濃霧によって進路測定に誤差が生じたことを遭難の原因として詳細に地理的に報告した。そして「民間航空発展の貴い人柱」となった人々への哀悼、遺族への慰問の責任を表明した。けれども、当時あの新聞をよんだ一般市民は、阿佐操縦士の妹きくえ・・・ 宮本百合子 「市民の生活と科学」
・・・ この弟は、大正九年の大暴風の日に発病してチフスから脳症になって命をおとした。この弟の生命が一刻一刻消えてゆく過程を私は息もつけないおどろきと畏れとで凝視した。その見はった眼の中で、彼に対するひごろの思いもうち忘れ、臨終記として「一つの・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・ 和歌の浦の暴風のなかでそのような言葉を嫂からきいて、二郎は、自分がこの時始めて女というものをまだ研究していないことを知ったと感じ、彼女から翻弄されつつあるような心持がしながら、それを不愉快に感じない自分を自覚している。二郎の人間心理の・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
・・・三十日に大暴風で阪の下に半日留められた外は、道中なんの障もなく、二人は七月十一日の夜品川に着いた。 十二日寅の刻に、二人は品川の宿を出て、浅草の遍立寺に往って、草鞋のままで三右衛門の墓に参った。それから住持に面会して、一夜旅の疲を休めた・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 彼は暴風のように眼がくらんだ。妻は部屋の中を見廻しながら、彼の方へ手を出した。彼は、激しい愛情を、彼女の一本の手の中に殺到させた。「しっかりしろ。ここにいるぞ。」「うん。」と彼女は答えた。 彼女の把握力が、生涯の力を籠めて・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・更けても暗くはならない、此頃の六月の夜の薄明りの、褪めたような色の光線にも、また翌日の朝焼けまで微かに光り止まない、空想的な、不思議に優しい調子の、薄色の夕日の景色にも、また暴風の来そうな、薄黒い空の下で、銀鼠色に光っている海にも、また海岸・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫