・・・おとよは省作のために二年の間待ってる、二年たって省作が家を持てなければ、その時はおとよはもう父の心のままになる、決して我意をいわない、と父の書いた書付へ、おとよは爪印を押して、再び酒の飲み直しとなった。俄かに家内の様子が変る、祭りと正月が一・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・以上はただ全くの素人の想い出話のついでに思い付くままの空想を臆面もなく書付けて見ただけである。 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・を訳したのがあると言って日記へ書き付けてくれた、そしてさびたような低い声で、しかし正しい旋律で歌って聞かせた。 きのうのスペインの少女の名はコンセプシオというのだそうな。自分ではコンチャといっている。首飾りに聖母の像のついたメダルを三つ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ウィリアムは又内懐へ手を入れて胸の隠しの裏から何か書付の様なものを攫み出す。室の戸口まで行って横にさした鉄の棒の抜けはせぬかと振り動かして見る。締は大丈夫である。ウィリアムは丸机に倚って取り出した書付を徐ろに開く。紙か羊皮か慥かには見えぬが・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・又書付て折々読しめ忘ることなからしめよ。今の代の人、女子に衣服道具抔多く与へて婚姻せしむるよりも、此条々を能く教ふること一生身を保つ宝なるべし。古語に、人能く百万銭を出して女子を嫁せしむることを知て十万銭を出して子を教ふることを知らずといへ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・なるほど、細根大根を漢音に読み細根大根といわば、口調も悪しく字面もおかしくして、漢学先生の御意にはかなうまじといえども、八百屋の書付に蘿蔔一束価十有幾銭と書きて、台所の阿三どんが正にこれを了承するの日は、明治百年の後もなお覚束なし。 こ・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・さて、お前は天からの追放の書き付けを持って来たろうな。早く出せ。」 二人は顔を見合せました。チュンセ童子が「僕らはそんなもの持たない。」と申しました。 すると鯨が怒って水を一つぐうっと口から吐きました。ひとではみんな顔色を変えて・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・コンムニストは鞭の代りに書付を出しくさる! そして監獄だ! フーッ!」 土地を農民へ。ということを階級的意識の低い、農民のあるものは、本質を全く反対に考えていた。土地を皆に分け取りにして、取った土地で稼げば稼いだだけ自分の身上を肥やして・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ ところがパンフョーロフの小説じゃ、読むこと、読むこと、まるで何かの書付け読むように読みくさる。マルケル・ブイコフが『憲法』って言葉をつかう。ズブの無学文盲の農民は、この作者が喋らしているような喋りかたはしねえもんだ。『神聖な処女の噺』は、・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・二人は、春桃をゆずり合い、幾度も字のかける向高は「赤い書付」をかいた。春桃は、何度もそれをやぶいた。そういうおだやかだが、こころにかかるいきさつのうちに或る夕方、向高の姿が見えなくなった。その姿をさがしても見当らず、がっかりして帰って来た春・・・ 宮本百合子 「春桃」
出典:青空文庫