・・・茶番の最明寺どののような形を、更めて静に歩行いた。――真一文字の日あたりで、暖かさ過ぎるので、脱いだ外套は、その女が持ってくれた。――歩行きながら、「……私は虫と同じ名だから。」 しかし、これは、虫にくらべて謙遜した意味ではない。実・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・文応元年七月十六日、屋戸野入道に付して、古最明寺入道殿に進め了んぬ。これ偏に国土の恩を報ぜん為めなり。」 これが日蓮の国家三大諫暁の第一回であった。 この日蓮の「国土の恩」の思想はわれわれ今日の日本の知識層が新しく猛省して、再認識せ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・水戸黄門でも、最明寺入道でも、旅行する時には、わざときたない身なりで出かけるでしょう? そうすると、旅がいっそう面白くなるのです。遊び上手は、身をやつすものです。」 旧暦のお正月の頃で、港町の雪道は、何か浮き浮きした人の往き来で賑わって・・・ 太宰治 「母」
・・・ 物語に伝えられた最明寺時頼や講談に読まれる水戸黄門は、おそらく自分では一種の調律師のようなつもりで遍歴したものであったかもしれない。しかしおそらくこの二人は調律もしたと同時にまたかなりにいい楽器をこわすような事もして歩いたかもしれない・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
出典:青空文庫