・・・網を張っておいて、鳥を追立て、引かかるが最期網をしめる、陥穽を掘っておいて、その方にじりじり追いやって、落ちるとすぐ蓋をする。彼らは国家のためにするつもりかも知れぬが、天の眼からは正しく謀殺――謀殺だ。それに公開の裁判でもすることか、風紀を・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・言わば余裕頗る綽々としたそういう幸福な遭難者には、浅草で死んだ人たちの最期は話して聞かされても、はっきり会得することができない位である。しかし事実は事実として受取らなければならない。その夜を限りその姿形が、生残った人たちの目から消え去ったま・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ その同じ時刻に、安岡が最期の息を吐き出す時に、旅行先で深谷が行方不明になった。 数日後、深谷の屍骸が渚に打ち上げられていた。その死体は、大理石のように半透明であった。 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・この梅干船(この船は賄が悪いのでこの仇名が我最期の場所かと思うと恐しく悲しくなって一分間も心の静まるという事はない。しかし郵便を出してくれると聞いて、自分も起き直って、ようよう硯など取り出し、東京へやる電報を手紙の中へ封じてある人に頼んでや・・・ 正岡子規 「病」
・・・アジアの地図の大半の土地からは、わたしたちが愛した者の最期のうめきがつたわってきます。わたしたちはそのような日本という祖国に生きて、毎日の生活苦と闘いながら同時に人類的なこの苦痛の克服について考えています。 アジアの近代の歴史は、苦しい・・・ 宮本百合子 「新しいアジアのために」
・・・で手負いの侍女が、死にかかりながら、主君の最期を告げに来るのに、傍にいる朋輩が、体を支えてやろうともしないで、行儀よく手を重ねて見ているのも気がついた。何も、わざとらしい動作をするには及ばない。只、そういう非常な場合、人間なら当然人間同士感・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・しかも、そう気づきつつ改められないで、最期の床に横わった忠利に向って、幾度も殉死を願う阿部彌一右衛門の顔を見、声をきくとどうしても「いや、どうぞ光尚に奉公してくれい」という返事しか忠利の喉を出て来ないのである。 追腹を切って阿部彌一右衛・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・こんな扱いを留置場でされることは、もう最期に近いと云うことの証拠ではないか。枕元に、脱脂綿でこしらえた膿とりの棒が散乱し、元看護卒だった若者が二人、改った顔つきで坐っている。 今野は唸っている。唸りながら時々充血して痛そうな眼玉をドロリ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・若くて悲惨なその最期を終るまでには、とるところもない性質の男と夫婦になり、ゴーリキイはその継父に堪えられないような侮蔑も受けた。「幼年時代」の中にこの母の、美しくて強いがまとまりのなかった一生の印象が如実に描かれている。野蛮と暗黒と慾心の闘・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・橋谷は「最期によう笑わせてくれた」と言って、家隷に羽織を取らせて切腹した。吉村甚太夫が介錯した。井原は切米三人扶持十石を取っていた。切腹したとき阿部弥一右衛門の家隷林左兵衛が介錯した。田中は阿菊物語を世に残したお菊が孫で、忠利が愛宕山へ学問・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫