・・・ 婆さんはこの時、滝登の懸物、柱かけの生花、月並の発句を書きつけた額などを静にみまわしたから、判事も釣込まれてなぜとはなくあたりを眺めた。 向直って顔を見合せ、「この家は旦那様、停車場前に旅籠屋をいたしております、甥のものでも私・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 通り一遍の客ではなく、梅水の馴染で、昔からの贔屓連が、六七十人、多い時は百人に余る大一座で、すき焼で、心置かず隔てのない月並の会……というと、俳人には禁句らしいが、そこらは凡杯で悟っているから、一向に頓着しない。先輩、また友達に誘われ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・余り評判にもならなかったが、那翁三世が幕府の遣使栗本に兵力を貸そうと提議した顛末を夢物語風に書いたもので、文章は乾枯びていたが月並な翻訳伝記の『経世偉勲』よりも面白く読まれた。『経世偉勲』は実は再び世間に顔を出すほどの著述ではないが、ジスレ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ 私はむかむかッとして来た、筆蹟くらいで、人間の値打ちがわかってたまるものか、近頃の女はなぜこんな風に、なにかと言えば教養だとか、筆蹟だとか、知性だとか、月並みな符号を使って人を批評したがるのかと、うんざりした。「奥さんは字がお上手・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 月並みなことを月並みにいえば、たしかに大阪の町は汚ない。ことに闇市場の汚なさといっては、お話にならない。今更言ってみても仕様がないくらい汚ない。わずかに、中之島界隈や御堂筋にありし日の大阪をしのぶ美しさが残っているだけで、あとはどこも・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・……声まで顫えて、なるほど一枚ではさぞ寒かろうと、おれも月並みに同情したが、しかし、同じ顫えるなら、単衣の二枚重ねなどという余り聴いたことのないおかしげな真似は、よしたらどうだ。……それに、二円貸せとは、あれは一体なんだ? 同じことなら、二・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・おまけに、勝って威張るのは月並みで面白くないというので負けそうになってから、ますます威張り出しやがった。負けながら威張るのが、最大の威張り方だと、やに下っているんだろう。もっとも戦局がこうなって来れば、もう威張るよりほかに、存在の示し方がな・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・それがしは、今日今宵この刻まで、人並、いやせめては月並みの、面相をもった顔で、白昼の往来を、大手振って歩いて来たが、想えば、げすの口の端にも掛るアバタ面! 楓どの。今のあの言葉をお聴きやったか」「いいえ、聴きませぬ。そのような、げす共の・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・溝の中に若い娘の屍体が横たわっているという風景も、昨日今日もはや月並みな感覚に過ぎない。老大家の風俗小説らしく昔の夢を追うてみたところで、現代の時代感覚とのズレは如何ともし難く、ただそれだけの風俗小説ではもう今日の作品として他愛がなさ過ぎる・・・ 織田作之助 「世相」
・・・その姉のさびしい生涯を想えば、もはや月並みな若い娘らしい幸福に甘んずることは許されず、姉の一生を吹き渡った孤独な冬の風に自分もまた吹雪と共に吹かれて行こうという道子にとっては、自分の若さや青春を捨てて異境に働き、異境に死ぬよりほかに、姉に報・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
出典:青空文庫