・・・……いいえ、お上人よりか、檀家の有志、県の観光会の表向きの仕事なんです。お寺は地所を貸すんです。」「葬った土とは別なんだね。」「ええ、それで、糸塚、糸巻塚、どっちにしようかっていってるところ。」「どっちにしろ、友禅のに対するなん・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・主人の姉――名はお貞――というのが、昔からのえら物で、そこの女将たる実権を握っていて、地方有志の宴会にでも出ると、井筒屋の女将お貞婆さんと言えば、なかなか幅が利く代り、家にいては、主人夫婦を呼び棄てにして、少しでもその意地の悪い心に落ちない・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 尤も沼南は極めて多忙で、地方の有志者などが頻繁に出入していたから、我々閑人にユックリ坐り込まれるのは迷惑だったに違いない。かつ天下国家の大問題で充満する頭の中には我々閑人のノンキな空談を容れる余地はなかったろうが、応酬に巧みな政客の常・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・終生独身で過ごした、B医師はバラック式であったが、有志の助力によって、慈善病院を建てたのは、それから以後のことであります。もちろん、老人の志も無とならなかったばかりか、B医師は、老人の好きだったらしいすいせんを病院の庭に植えたのでありました・・・ 小川未明 「三月の空の下」
・・・いや、それから生徒の有志たちと、まちのイタリヤ軒という洋食屋で一緒に晩ごはんをいただいて、それから、はじめて私は自由になれるわけなのです。会場からまた拍手に送られて退出し、薄暗い校長室へ行き、主任の先生と暫く話をして、紅白の水引で綺麗に結ば・・・ 太宰治 「みみずく通信」
・・・ 学生の有志の見学団で毎週のようにいろいろの見学参加募集をする。その広告が大学の玄関に貼り出される。当時は世界第一であったナウエンの無線電信発信所を見物したのもこの見学団の一員としてであった。テレフンケン・システムの大きな蛇のようなスパ・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・たとえば収賄の嫌疑で予審中でありながら○○議員の候補に立つ人や、それをまた最も優良なる候補者として推薦する町内の有志などの顔がそれである。しかしまた俗流の毀誉を超越して所信を断行している高士の顔も涼しかりそうである。しかしこの二つの顔の区別・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・以後向島居住の有志者は常に桜樹の培養を怠らず、時々これが補植をなし、永くこの堤上を以て都人観花の勝地たらしむべく、明治二十年に植桜之碑を建てて紀念となした。建碑について尽力した人の重なるものは、その時には既に世を去っていた成島柳北と今日なお・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦覧せしむる便宜さえ謀られた。 文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙げると昔しはトマス・モア、下ってスモレット、なお下っ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ 旧幕府の末年に、天下有志の士と唱うる人物の内には、真に攘夷家もあり、また真に開国家もあり。この開攘の二家ははじめより元素を殊にする者なれば、理において決して抱合すべきに非ざれども、当時の事情紛紜に際し、幕府に敵するの目的をもって、暫時・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫