・・・実に有り難い。諸君。諸君には見えないだろうが僕は草葉の陰から諸君の厚誼を謝して居るよ。去る者は日々に疎しといってなかなか死者に対する礼はつくされないものだ。僕も生前に経験がある。死んだ友達の墓へ一度参ったきりでその後参ろう参ろうと思って居な・・・ 正岡子規 「墓」
・・・嚊大明神尤少々焼いて見るなぞは有難いな。女房の焼くほど亭主持てもせず、ハハハハハ。これでも今夜帰ると、ゲー、嚊大明神きっと焼くよ。あなた今夜どこで飲みましたよ、位いうだろう。どこで飲んだ、どこで飲んだもねえものだ、おれが飲む処は新橋か柳橋、・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・「ただ今のご文は、梟鵄守護章というて、誰も存知の有り難いお経の中の一とこじゃ。ただ今から、暫時の間、そのご文の講釈を致す。みなの衆、ようく心を留めて聞かしゃれ。折角鳥に生れて来ても、ただ腹が空いた、取って食う、睡くなった、巣に入るではな・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・空で死んだのを有り難いと思え。」 二人は大烏を急いで流れへ連れて行きました。そして奇麗に傷口を洗ってやって、その上、傷口へ二三度香しい息を吹きかけてやって云いました。「さあ、ゆるゆる歩いて明るいうちに早くおうちへお帰りなさい。これか・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・恋愛ばかりは、真に主観的な豊富さから見ると、失っても得ても、ともに尊い、有難いものと云えます。その一段深まり拡った人間と自然との生存を味わせようとして、神は人間に複雑な全心的な恋愛の切な情を与えたのかと思われることさえある程です。 恋愛・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・の不景気で近々人減しがあるので随分惨目なものが多いと良吉が云うと、お金は、すぐその言葉じりをとって、「けどまあ、『うちの人』や恭二なんかは、永年お役に立ってるって云うので、そんな心配のいらない有難い身分なんですがねえ、そんな人達は、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・そういう愛情は日本の社会でいわば公認の愛の局面であるが、自分に向けられる母の愛、気づかい、心配などを、有難いとともに漠然負担に感じないで暮している娘さんたちが今日はたして何人あるだろうか。日本の女の自己犠牲の深さということを一方においてみる・・・ 宮本百合子 「女の自分」
・・・人類は、よき母、よき妻と共に、よき有難い芸術家をも、女性の中に待っているのではないだろうか。 種々な点から反省して見て、自分には、今日女性が作家としてまだ完全に近い発達を遂げていないのは、箇性の芸術的天分と、過去の文化的欠陥が遺伝的に女・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・それで安次も一生落ちつけるのや、有難いもんやないか。」「あんな奴、抛っとけ。」秋三は笑いながら云った。「阿呆ばっかし云うて!」とお留は叱った。「あんな碌でもない奴は、人目につかん処で死にさらしゃええんじゃ。」「お前はよっぽど・・・ 横光利一 「南北」
・・・何んだか、そろそろおかしな話になって来たが、とにかく、お前が病気をしたお蔭で、俺ももう看護婦の免状位は貰えそうになって来たし、不幸ということがすっかり分らなくなって来たし、こんな有り難いことはそうやたらにあるもんじゃない。お前も、ゆっくり寝・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫