はっとりうのきち【服部宇之吉】
[1867〜1939]中国哲学者。福島の生まれ。東大教授。西洋哲学の立場から中国思想の解明に努めた。著「東洋倫理綱要」「清国通考」など。
はっとりしそう【服部之総】
[1901〜1956]歴史学者。島根の生まれ。講座派の一員として明治維新史研究を推進。第二次大戦後は日本近代史研究会を創立。著「黒船前後」「親鸞ノート」など。
はっとりしろう【服部四郎】
[1908〜1995]言語学者。三重の生まれ。東大教授。日本語・モンゴル語を中心としたアルタイ諸語を研究。著作に「音声学」「言語学の方法」など。昭和58年(1983)文化勲章受章。
はっとりとほう【服部土芳】
[1657〜1730]江戸前・中期の俳人。伊賀上野の人。名は保英。通称、半左衛門。別号、蓑虫庵 (みのむしあん) など。もと藤堂藩士。松尾芭蕉の弟子で、伊賀蕉門の中心人物。俳論書「三冊子 (さんぞうし) 」を編んだほか、編著「蓑虫庵集」「横日記」など。
はっとりなんかく【服部南郭】
[1683〜1759]江戸中期の儒学者・漢詩人。京都の人。名は元喬 (もとたか) 。古文辞派の代表詩人。荻生徂徠 (おぎゅうそらい) 門下で、太宰春台 (だざいしゅんだい) と並び称される。著「南郭文集」など。
はっとりらんせつ【服部嵐雪】
[1654〜1707]江戸前・中期の俳人。蕉門十哲の一人。江戸の人。名は治助 (はるすけ) 。通称、彦兵衛。別号、雪中庵など。武士から俳諧の宗匠となり、穏健な俳風で、江戸俳壇を其角 (きかく) と二分した。編著「其袋 (そのふくろ) 」「或時集 (あるときしゅう) 」など。
はっとりりょういち【服部良一】
[1907〜1993]作曲家。大阪の生まれ。アメリカ音楽の要素を取り入れた独自のスタイルにより、ブルース・青春歌謡など、生涯に3000曲以上を作曲。没後、国民栄誉賞受賞。代表作「別れのブルース」「東京ブギウギ」「青い山脈」など。
はっとりはんぞう【服部半蔵】
[1542〜1596]安土桃山時代の武将。三河の人。名は正成 (まさなり) 。半蔵は通称。徳川家康に仕え、姉川の戦いや三方ヶ原の戦いなどで活躍。本能寺の変に際しては、堺に滞在していた家康を護衛し、無事に三河へ帰還させた。家康の関東入国後は、伊賀同心を支配した。
はっとりまさなり【服部正成】
⇒服部半蔵