・・・その期間に作者はしばしば一人の人間、女としての自分の人生について考えずにいられなかった。人間の生活が現在にあるよりももっと条理にかなった運営の方法をもち、互に理解しあえる智慧とその発露を可能にする社会の方がより人間らしく幸福だという判断、あ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『二つの庭』)」
・・・そのものが印刷物にあることを禁じ、当然ソヴェト事情の公正な紹介も許さなかった。その期間ソヴェトに関して出版されたものは、軍、外務省の情報機関を通じたものであり、構想敵の実体調査であった。反人民的な本質に立つものしか許されなかった。 この・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・をこれらの期間にかいた。そして、それと平行して、この第三集にあつめられた「小村淡彩」「一太と母」「帆」「街」などをも書いた。 一九四七年九月〔一九四七年十月〕 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・ 一九三六、七年以後から十年の歳月は、日本の人民とその文学にとって、野蛮と死の期間であった。 実に、この十年の空白の傷は大きく深い。そして、こんにち商業新聞の頁の上に、昭和初頭と同じように講談社、主婦之友出版雑誌の大広告を見るとき、・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・一九三二年から四〇年いっぱいといえば八年の年月だが、その間には一九三八年から翌年の初夏までつづいた作品の発表禁止の期間がはさまり、通算六百日ばかりの拘禁生活の期間がある。ここに集められている評論、伝記は主として一九三七年一九三九、四〇年にか・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十五巻)」
・・・あとの九年という歳月は、拘禁生活か、あるいは十三年度の一年半、十六年一月から治安維持法撤廃までの執筆禁止の長い期間にあたっている。 公衆の面前で、一定の人間を、これでもか、これでもか、というふうにあつかったことは、直接そういう目にあうも・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・それが医学をした花房の医者らしい生活をした短い期間であった。 その花房の記憶に僅かに残っている事を二つ三つ書く。一体医者の為めには、軽い病人も重い病人も、贅沢薬を飲む人も、病気が死活問題になっている人も、均しくこれ casus である。・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・しかし三日とか五日とかの短い期間だと、それはあまり気にならず、いわんや苦痛とまではならなかった。それが、引っ越して来て居ついたとなると、毎日少しずつ積もって行って、だんだん強くなったものと見える。いわゆる acceleration の現象は・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
・・・それは非常に永い期間に成熟して来た一つの様式を示しているのである。しかるにわが国では、そういう古い伝統が、定住農耕生活の始まった弥生式文化の時代に、一度すっかりと振り捨てられたように見える。土器の形も、模様も、怪奇性を脱して非常に簡素になっ・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
・・・しかしこの期間の生活の痕跡を一身に受けている純一君は、明らかにその反証を見せてくれたのである。『道草』に書かれた時代よりも後に生まれた純一君は、父親を「気違いじみた癇癪持ち」として心に烙きつけていた。それは容易に消すことができないほど強い印・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫