・・・それは霜が木の葉を蹴落す冬のことであった。枳の木は竹藪の中に在った。黄ばんだ葉が蒼い冴えた空から力なさ相に竹の梢をたよってはらはらと散る。竹はうるさげにさらさら身をゆする。落葉は止むなく竹の葉を滑ってこぼれて行く。澁い枳の実は霜の降る度に甘・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 春恋し、春恋しと囀ずる鳥の数々に、耳側てて木の葉隠れの翼の色を見んと思えば、窓に向わずして壁に切り込む鏡に向う。鮮やかに写る羽の色に日の色さえもそのままである。 シャロットの野に麦刈る男、麦打つ女の歌にやあらん、谷を渡り水を渡りて・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ そうして開けたドアから風のように出て行った。 安岡はそれを感じた。すぐに彼は静かに上半身を起こして耳を澄ました。 木の葉をわたる微風のような深谷の気配が廊下に感じられた。彼はやはり静かに立ち上がると深谷の跡をつけた。 廊下・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・其方もある夏の夕まぐれ、黄金色に輝く空気の中に、木の葉の一片が閃き落ちるのを見た時に、わしの戦ぎを感じた事があるであろう。凡そ感情の暖かい潮流が其方の心に漲って、其方が大世界の不思議をふと我物と悟った時、其方の土塊から出来ている体が顫えた時・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・はた十銭のはたごに六部道者と合い宿の寝言は熟眠を驚かし、小石に似たる飯、馬の尿に似たる渋茶にひもじ腹をこやして一枚の木の葉蒲団に終夜の寒さを忍ぶ。いずれか風流の極意ならざる。われ浮世の旅の首途してよりここに二十五年、南海の故郷をさまよい出で・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・畠には、草や腐った木の葉が、馬の肥と一緒に入りましたので、粟や稗はまっさおに延びました。 そして実もよくとれたのです。秋の末のみんなのよろこびようといったらありませんでした。 ところが、ある霜柱のたったつめたい朝でした。 みんな・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・ 霧の立ちこめた中に只一人立って、足元にのびて居る自分の影を見つめ耳敏く木の葉に霧のふれる響と落葉する声を聞いて居ると自と心が澄んで或る無限のさかえに引き入れられる。 口に表わされない心の喜びを感じる。 彼の水の様な家々の屋根に・・・ 宮本百合子 「秋霧」
・・・「まああの美しい紅葉をごらん」と、先に立っていた母が指さして子供に言った。 子供は母の指さす方を見たが、なんとも言わぬので、女中が言った。「木の葉があんなに染まるのでございますから、朝晩お寒くなりましたのも無理はございませんね」 姉・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・築地の破れを蔦桂が漸く着物を着せてる位ですけれど、お城に続いてる古い森が大層広いのを幸いその後鹿や兎を沢山にお放しになって遊猟場に変えておしまいなさり、また最寄の小高見へ別荘をお建てになって、毎年秋の木の葉を鹿ががさつかせるという時分、大し・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・舟は木の葉のようにもまれている。若者は舟の傍木へ肩を掛ける。陸からは綱を引くものが諸声に力のリズムを響かせる。かくて波を蹴散らし、足をそろえ、声を合わせて舟を砂の上に引きずり上げて行く。 一艘上がるとともに、舟にいた若者たちは直ちに綱を・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫