・・・しかしマネエジャア、同僚、山井博士、牟多口氏等の人びとは未だに忍野半三郎の馬の脚になったことを信じていない。のみならず常子の馬の脚を見たのも幻覚に陥ったことと信じている。わたしは北京滞在中、山井博士や牟多口氏に会い、たびたびその妄を破ろうと・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・彼の耳には神々の声が、未だに鳴り響いているようだった。が、あたりを見廻すと、人音も聞えない内陣には、円天井のランプの光が、さっきの通り朦朧と壁画を照らしているばかりだった。オルガンティノは呻き呻き、そろそろ祭壇の後を離れた。あの幻にどんな意・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・彼は、――僕は未だに覚えている。彼はただ道に沿うた建仁寺垣に指を触れながら、こんなことを僕に言っただけだった。「こうやってずんずん歩いていると、妙に指が震えるもんだね。まるでエレキでもかかって来るようだ。」 三・・・ 芥川竜之介 「彼」
一 彼は若い愛蘭土人だった。彼の名前などは言わずとも好い。僕はただ彼の友だちだった。彼の妹さんは僕のことを未だに My brother's best friend と書いたりしている。僕は彼と初対面の・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ただ読む筈だった紀行や地誌なぞが、未だに読み切れないのに弱っています。編輯者 そんな本が何冊もあるのですか?小説家 存外ありますよ。日本人が書いたのでは、七十八日遊記、支那文明記、支那漫遊記、支那仏教遺物、支那風俗、支那人気質、燕山・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・わたしは以前彼と共に、善とか美とか云う議論をした時、こう云った彼の風貌を未だにはっきりと覚えている。「そりゃ君、善は美よりも重大だね。僕には何と云っても重大だね。」――善は実に彼にとっては、美よりも重大なものであった。彼の爾後の作家生涯は、・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・主人の炊いでいた黍も、未だに熟さないらしい。盧生は青磁の枕から頭をあげると、眼をこすりながら大きな欠伸をした。邯鄲の秋の午後は、落葉した木々の梢を照らす日の光があってもうすら寒い。「眼がさめましたね。」呂翁は、髭を噛みながら、笑を噛み殺・・・ 芥川竜之介 「黄粱夢」
・・・ 僕はこう言う説明を聞いても、未だに顔を見せない玉蘭は勿論、彼女の友だちの含芳にも格別気の毒とは思わなかった。けれども含芳の顔を見た時、理智的には彼女の心もちを可也はっきりと了解した。彼女は耳環を震わせながら、テエブルのかげになった膝の・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・僕はこの夢を思い出す度に未だに寂しい気がしてならないのである。魂はいづれの空に行くならん我に用なきことを思ひ居り これは島木さんの述懐ばかりではない。同時に又この文章を書いている病中の僕の心もちである。・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・この娘かと云うので、拷問めいた事までしたが、見たものの過失で、焼けはじめの頃自分の内に居た事が明に分って、未だに不思議な話になっているそうである。初めに話した静岡の家にも、矢張十三四の子守娘が居たと云う、房州にも矢張居る、今のにも、娘がつい・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
出典:青空文庫