・・・ ベルリンの下宿はノーレンドルフの辻に近いガイスベルク街にあって、年老いた主婦は陸軍将官の未亡人であった。ひどくいばったばあさんであったがコーヒーはよいコーヒーをのませてくれた。ここの二階で毎朝寝巻のままで窓前にそびゆるガスアンシュタル・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・ しばらく人の途絶えたときに、仏になった老人の未亡人が椅子に腰かけて看護に疲れたからだを休めていた。その背後に立っていたのは、この未亡人の二人の娘で、とうに他家に嫁いで二人ともに数人の子供の母となっているのであるが、その二人が何か小声で・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ジァンペートロというバリートンが当時異常な人気を呼んでいて、なんでもある貴族の未亡人から、自分の願いを容れてくれなければ自殺するという脅迫を受けて困っているというような噂が新聞で持て囃されたが、しかしそれは単に宣伝のための空ごとだというゴシ・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・道太の姪の家も広くはあるし、水を隔てて青い山も見えるので、悪くはないと思ったけれど、未亡人の姪が、子供たちと静かに暮らしているので厄介になるのも心苦しかった。「とにかく腹が減ったね」「え、どこか涼しいところで風呂に入って御飯を食べま・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・而して其不和争擾の衝に当る者は其時の未亡人即ち今日の内君にして、禍源は一男子の悪徳に由来すること明々白々なれば、苟も内を治むる内君にして夫の不行跡を制止すること能わざるは、自身固有の権利を放棄して其天職を空うする者なりと言わるゝも、弁解の辞・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・自分がイソダンで識っていた時は未亡人でいた美人である。それが自分のパリイに出たあとで再縁して、今ではマドレエヌ・ジネストと名告っている。スウルヂェエにしろ、ジネストにしろ、いずれも誰にも知られない平民的な苗字で目下自分の交際している貴夫人何・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 内縁関係、未亡人の生きかたに絡む様々の苦しい絆は、経済上の性質をもっているにしろ、その根に、精神の軛として、封建的な家族制度がのしかかっている。今度の第二次世界戦争で、日本の軍事的権力は百四万以上の生命を犠牲とした。家庭は、既に強権に・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・戦争によって未亡人になった婦人はいたるところにいる。この婦人たちの生活こそ、男女の新しい意味での社会的な協力ということについて深刻な問題を提出していると思う。社会が封建的であればあるほど妻の境遇も苦しいが、また未亡人の立場は切なく、生きにく・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・三、あなたがたは、未亡人が御希望ですか。 こういう不自然な質問に対して誰が、いやだ、と答えないでしょう。あなたがたは、つよい感情をこめてお答えなさるでしょう。わたしたちの人生は、まだ無傷です。傷ついたにせよ、若い命がすぐそれを癒・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・しかも、苦しいことは、若い少女の感情を不安定にし、荒びさせている社会悪の諸条件は、家庭の妻に、働く婦人のすべてに、未亡人をふくむすべての母の生活に深刻に作用していて、きょうの日本の女性の問題を現象的におっかけて見ても、ほとんどそれとしては解・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十五巻)」
出典:青空文庫