・・・打出されたところは昔呉竹の根岸の里今は煤だらけの東北本線の中空である。 高架線路から見おろした三河島は不思議な世界である。東京にこんなところがあったかと思うような別天地である。日本中にも世界中にもこれに似たところはないであろう。慰めのな・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・これなども具体的内容は覚えていないが、この記事で窺われた当時の根岸子規庵の気分と云ったようなものだけははっきり思い出すことが出来る。 その頃すでに読者から日記や短文の募集をしていた。自分も時に応募していたが、自分の書いた文章が活字になっ・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・則深川仲町には某楼があり、駒込追分には草津温泉があり、根岸には志保原伊香保の二亭があり、入谷には松源があり、向島秋葉神社境内には有馬温泉があり、水神には八百松があり、木母寺の畔には植半があった。明治七年に刊行せられた東京新繁昌記中に其の著者・・・ 永井荷風 「上野」
・・・これを例すれば植物園門前の細流を見てその源を巣鴨に探り、関口の滝を見ては遠きをいとわず中野を過ぎて井の頭の池に至り、また王子音無川の流の末をたずねては、根岸の藍染川から浅草の山谷堀まで歩みつづけたような事がある。しかしそれはいずれも三十前後・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・一声の汽笛が高く長く尻を引いて動き出した上野の一番汽車は、見る見る中に岡の裾を繞ッて、根岸に入ッたかと思うと、天王寺の森にその煙も見えなくなッた。 この文を読んで、現在はセメントの新道路が松竹座の前から三ノ輪に達し、また東西には二筋・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 根岸派の新俳句が流行し始めたのは丁度その時分の事で、わたくしは『日本』新聞に連載せられた子規の『俳諧大要』の切抜を帳面に張り込み、幾度となくこれを読み返して俳句を学んだ。 漢詩の作法は最初父に就いて学んだ。それから父の手紙を持って・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ 一声の汽笛が高く長く尻を引いて動き出した上野の一番汽車は、見る見るうちに岡の裾を繞ッて、根岸に入ッたかと思うと、天王寺の森にその煙も見えなくなッた。 窓の鉄棒を袖口を添えて両手に握り、夢現の界に汽車を見送ッていた吉里は、すでに煙が・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 夜は見るものがないので途が非常に遠いように思うた。根岸まで帰って来たのは丁度夜半であったろう。ある雑誌へ歌を送らねばならぬ約束があるので、それからまだ一時間ほど起きて居て歌の原稿を作った。 翌日も熱があったがくたびれ紛れに寝てしも・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・この一行は根岸を出て田端から汽車に乗って、飛鳥山の桜を一見し、それからあるいて赤羽まで往て、かねて碧梧桐が案内知りたる汽車道に出でて土筆狩を始めたそうな。自分らの郷里では春になると男とも女とも言わず郊外へ出て土筆を取ることを非常の楽しみとし・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
出典:青空文庫