・・・ しかし、内蔵助の笑わなかったのは、格別二人の注意を惹かなかったらしい。いや、人の好い藤左衛門の如きは、彼自身にとってこの話が興味あるように、内蔵助にとっても興味があるものと確信して疑わなかったのであろう。それでなければ、彼は、更に自身・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・それはまあ格別驚かずとも好い。が、その相手は何かと思えば、浪花節語りの下っ端なんだそうだ。君たちもこんな話を聞いたら、小えんの愚を哂わずにはいられないだろう。僕も実際その時には、苦笑さえ出来ないくらいだった。「君たちは勿論知らないが、小・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ こう矢継ぎ早やに尋ねられるに対して、若い監督の早田は、格別のお世辞気もなく穏やかな調子で答えていたが、言葉が少し脇道にそれると、すぐ父からきめつけられた。父は監督の言葉の末にも、曖昧があったら突っ込もうとするように見えた。白い歯は見せ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・けさの寒さは格別だ。この一面の霜はどうだ」 といいながら、おじさんは井戸ばたに立って、あたりをながめまわしていた。ほんとうに井戸がわまでが真白になっていた。 橋本さんで朝御飯のごちそうになって、太陽が茂木の別荘の大きな槙の木の上に上・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・ひとりその店にて製する餡、乾かず、湿らず、土用の中にても久しきに堪えて、その質を変えず、格別の風味なり。其家のなにがし、遠き昔なりけん、村隣りに尋ぬるものありとて、一日宵のほどふと家を出でしがそのまま帰らず、捜すに処無きに至りて世に亡きもの・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・蕎麦は二銭さがっても、このせち辛さは、明日の糧を思って、真面目にお念仏でも唱えるなら格別、「蛸とくあのく鱈。」などと愚にもつかない駄洒落を弄ぶ、と、こごとが出そうであるが、本篇に必要で、酢にするように切離せないのだから、しばらく御海容を願い・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・多勢でしたらおもしろかろうと思って二軒いっしょにお互いこの稲刈りをしたのだが、なんだかみんなの心がてんでん向き向きのようで、格別おもしろくなかった。だから今日のしまいごろには清さんも満蔵もおはまも、言い合わさないでつまらなかったとこぼした。・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・今なら重婚であるが、その頃は門並が殆んど一夫多妻で、妻妾一つ家に顔を列べてるのが一向珍らしくなかったのだから、女房を二人持っても格別不思議とも思われなかった。そういう時勢であったから椿岳は二軒懸持の旦那で頤を撫でていたが、淡島屋の妻たるおく・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・私は昔から人の反駁なぞは余り気に掛けない方で、大抵は雲煙過眼してしまうし、鴎外の気質はおおよそ呑込んでるから、威丈高に何をいおうと格別気にも留めなかったが、誰だか鴎外に注意したものがあったと見えて、その後偶然フラリと鴎外を尋ねると、私の顔を・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・「それじゃ、病人の方は格別快いてえわけでもねえんだね?」「ええ、どうもね」「その代り、大して悪くもならねえんだろう」「ええ」と頷く。「そういうのはどうしても直りが遅いわけさね。新さんもじれッたかろうが、お光さんも大抵じゃ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫