・・・井筒屋のお貞が言った通り、はたして梅毒患者であったかと思うと、僕は身の毛が逆立ったのである。井上眼科病院で診察してもらったら、一、二箇月入院して見なければ、直るか直らないかを判定しにくいと言ったとか。 かの女は黒い眼鏡を填めた。 僕・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・それに、時々、その活き活きした目がかすむのを井筒屋のお貞が悪口で、黴毒性のそこひが出るのだと聴いていたのが、今さら思い出されて、僕はぞッとした。「寛恕して頂戴よ」と、僕の胸に身を投げて来た吉弥をつき払い、僕はつッ立ちあがり、「おッ母さん・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・それにもかかわらず、読者は、一度掴んだ鬼の首を離そうともせず、ゲエテはどうも梅毒らしい、プルウストだって出版屋には三拝九拝だったじゃないか、孤蝶と一葉とはどれくらいの仲だったのかしら。そうして、作家が命をこめた作品集は、文学の初歩的なるもの・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・赤犬の肉は黴毒の患者に著しい効験があると一般に信ぜられて居るのである。太十は酷く其胸を焦した。五 次の日に懇意な一人が太十の畑をおとずれた。彼は能く来た。そうして噺が興に乗じて来る時不器用に割った西瓜が彼等の間に置かれるので・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ただ、お前のその骨に内攻した梅毒がそれ以上進行しないってことになれば、まだまだ大丈夫だ。 お前の手、腕、はますます鍛われて来た。お前の足は素晴らしいもんだ。お前の逞しい胸、牛でさえ引き裂く、その広い肩、その外観によって、内部にあるお前自・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・錨を巻き上げる時、彼女の梅毒にかかった鼻は、いつでも穴があくではないか。その穴には、亜鉛化軟膏に似たセメントが填められる。 だが、未だ重要なることはなかったか? それは、飲料水タンクを修理することだ。 若し、彼女が、長い航海をし・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・ 作者は素直に、ただ一筋に梅毒の悲惨にひしがれた女を描いて或る効果を示しているが、この社会的疾病に対する考えかた、感情は、どちらかと云えばごく低いものである。 島木健作の「癩」「盲目」などが好評を博したことによって、もし疾病、不具な・・・ 宮本百合子 「入選小説「毒」について」
・・・ ごく最近、私の一人の従弟は、遺伝性の脳梅毒で発狂したピアニストの卵に危く殺されかかった実例がある。私の五つで死んだ妹は、やはり脳に異状が起っているのを心づかず治療をまかせた医師の手落ちで死亡した。 私は、変質者、中毒患者、悪疾な病・・・ 宮本百合子 「花のたより」
・・・性病のある母親から生れても、例えば梅毒の遺伝のある赤坊も、全然それのない赤坊もある。その区別をハッキリ赤坊室を別にしてつけてある。 遺伝のあらわれている赤坊が五六人しずかに、然し一目でわかる血色のわるい皮膚をして眠っている奥に、行って見・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
出典:青空文庫