・・・ 桜の花が中庭に咲き、そして散り、やがていやな梅雨が来ると、喜美子の病気はますますいけなくなった。梅雨があけると生国魂神社の夏祭が来る、丁度その宵宮の日であった。喜美子が教えていた戦死者の未亡人達が、やがて卒業して共同経営の勲洋裁店を開・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・そして梅雨明けをまたずにお定は息を引き取ったが、死ぬ前の日はさすがに叱言はいわず、ただ一言お光を可愛がってやと思いがけぬしんみりした声で言って、あとグウグウ鼾をかいて眠り、翌る朝眼をさましたときはもう臨終だった。失踪した椙のことをついに一言・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 晩になってようよう発作のおさまったところで、私は少しばかりの粥を喰べた。梅雨前の雨が、同じ調子で、降り続いていた。 私は起きて、押入れの中から、私の書いたものの載っている古雑誌を引張りだして、私の分を切抜いて、妻が残して行った針と木綿・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・然し私自身みじめな気持になったのはその時が最初でした。梅雨が私を弱くしているのを知りました。 電車に乗っていてもう一つ困るのは車の響きが音楽に聴えることです。私はその響きを利用していい音楽を聴いてやろうと企てたことがありました。そんなこ・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ 二 この日は近ごろ珍しいいい天気であったが、次の日は梅雨前のこととて、朝から空模様怪しく、午後はじめじめ降りだした。普通の人ならせっかくの日曜をめちゃめちゃにしてしまったと不平を並べるところだが、時田先生、全く・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・セルの季節で、この陰鬱の梅雨が過ぎると、夏がやって来るのである。みんな客間に集って、母は、林檎の果汁をこしらえて、五人の子供に飲ませている。末弟ひとり、特別に大きいコップで飲んでいる。 退屈したときには、皆で、物語の連作をはじめるのが、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・あれは、私が東京へ出て一年くらい経った、なんでもじめじめ雨の降り続いている梅雨の頃の事と覚えていますが、柄でも無く、印刷所の若いほうの職工と二人で傘をさして吉原へ遊びに行き、いやもう、ひどいめに逢いました。そもそも吉原の女と言えば、女性の中・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・ 戸塚の梅雨。本郷の黄昏。神田の祭礼。柏木の初雪。八丁堀の花火。芝の満月。天沼の蜩。銀座の稲妻。板橋脳病院のコスモス。荻窪の朝霧。武蔵野の夕陽。思い出の暗い花が、ぱらぱら躍って、整理は至難であった。また、無理にこさえて八景にまとめるのも・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・植木を植えかえる季節は梅雨時に限るとか、蟻を退治するのには、こうすればよいとか、なかなか博識である。私たちより四十も多く夏に逢い、四十回も多く花見をし、とにかく、四十回も其の余も多くの春と夏と秋と冬とを見て来たのだ。けれども、こと芸術に関し・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 六月の二日か三日から稿を起こした。梅雨の降りしきる窓ぎわでは、ことに気が落ちついて、筆が静かな作の気分と相一致するのを感じた。そのくせ、その時分の私の生活は『田舎教師』を書くにはふさわしくない気分に満たされていた。焦燥と煩悶、それに病・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
出典:青空文庫