・・・は天衣無縫の棋風として一世を風靡し、一時は大阪名人と自称したが、晩年は不遇であった。いや、無学文盲で将棋のほかには何にも判らず、世間づきあいも出来ず、他人の仲介がなくてはひとに会えず、住所を秘し、玄関の戸はあけたことがなく、孤独な将棋馬鹿で・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
豪放かつ不逞な棋風と、不死身にしてかつあくまで不敵な面だましいを日頃もっていた神田八段であったが、こんどの名人位挑戦試合では、折柄大患後の衰弱はげしく、紙のように蒼白な顔色で、薬瓶を携えて盤にのぞむといった状態では、すでに・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・青扇の棋風は不思議であった。ひどく早いのである。こちらもそれに釣られて早く指すならば、いつの間にやら王将をとられている。そんな棋風であった。謂わば奇襲である。僕は幾番となく負けて、そのうちにだんだん熱狂しはじめたようであった。部屋が少しうす・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
出典:青空文庫