・・・ 田舎芝居、菜の花畑に鏡立て、よしずで囲った楽屋の太夫に、十円の御祝儀、こころみに差し出せば、たちまち表の花道に墨くろぐろと貼り出されて曰く、一金壱千円也、書生様より。景気を創る。はからずも、わが国古来の文学精神、ここにいた。 あの・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・青年の肩を抱きかかえるようにして、「ね、むこうへ行こう。楽屋にでも遊びに行ってみるか。」歩きながら、「ヴェルシーニン。鼻もちならん。おれは、とうとう、せりふまで覚えちゃった。」えへんと軽くせきばらいして、「――そうです。忘れられて了うでしょ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・面白い話を土産に持って帰る。楽屋落の処に、特殊の興味のあるような話で、それをまた面白く可笑しく話して聞せる。 しかしポルジイにはそれが面白くなくなって来た。折角の話を半分しか聞かないことがある。自分の行きたくて行かれない処の話を、人伝に・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・の舞台や楽屋の間のシーンも視覚的効果としてやはり少しうるさすぎる感じがある。それが下宿屋の荒涼な環境との対比であるにしても少しあくが強すぎるような気がするがそこがドイツ向きなところかもしれない。ここの楽屋で始終影のようにつきまとう一人の道化・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・もっともそのスクリーンの周囲の同平面をふろしきやボール紙でともかくもふさいでしまって楽屋と見物席とを仕切るほうがなかなかの仕事ではあった。観客は亮の兄弟と自分らを合わせて四五人ぐらいはあったが、映画技師、説明者が同時に映画製造者を兼ねるのみ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・における慰めなき荒涼無味の生活の描写があり、おまけにかわいがって飼っていた小鳥の死によって、この人の唯一の情緒生活のきずなの無残に断たれるという場面が一種の伏線となっているので、それでこそ後にポーラの楽屋のかもし出す雰囲気の魅力が生きて働い・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・少女は脇目もふらずにゆっくり楽屋口の方へ歩いて行く。やはりそれに相違なかったのである。 開場前四十分ほどだのにもうかなり入場者があった。二階の休憩室には色々な飾り物が所狭く陳列してあって、それに「花○喜○丈」と一々札がつけてある。一座の・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・ 会場の楽屋で、菜ッ葉服の胸をはだけ、両手を椅子の背中へたらしたかっこうにこしかけている長野は、一とめみてたち上りもしなかった。長野は演説するとき、かならず菜ッ葉服を着るが、そのときは興ざめたように、中途でかえってしまった。前座には深水・・・ 徳永直 「白い道」
・・・初日の幕のあこうとする刻限、楽屋に行くと、その日は三社権現御祭礼の当日だったそうで、栄子はわたくしが二階の踊子部屋へ入るのを待ち、風呂敷に包んで持って来た強飯を竹の皮のまま、わたくしの前にひろげて、家のおっかさんが先生に上げてくれッていいま・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・先生は現代生活の仮面をなるべく巧に被りおおせるためには、人知れずそれをぬぎ捨てべき楽屋を必要としたのである。昔より大隠のかくれる町中の裏通り、堀割に沿う日かげの妾宅は即ちこの目的のために作られた彼が心の安息所であったのだ。二・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫