・・・山鳩一羽いずこよりともなく突然程近き梢に止まりしが急にまた飛び去りぬ。かれが耳いよいよさえて四辺いよいよ静寂なり。かれは自己が心のさまをながむるように思いもて四辺を見回しぬ。始めよりかれが恋の春霞たなびく野辺のごとかるべしとは期せざりしもま・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・が、文学の上ではともかく、年齢的には、そういう感じを持っている者が、既に芥川が止りとなったところの年を三ツも四ツも通り越している者がたくさんあるだろう。 ○ 文学のことは年齢によってのみはかることは出来ないが、しかし、文学・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・ 吉田は、南京袋のような臭気を持っている若者にねじ伏せられて、息が止まりそうだった。 大きな眼に、すごい輝やきを持っている頑丈な老人が二人を取りおさえた者達に張りのある強い声で何か命令するように云った。吉田の上に乗りかぶさっていた若・・・ 黒島伝治 「雪のシベリア」
・・・あらかじめロープをもって銘の身をつないで、一人が落ちても他が踏止まり、そして個の危険を救うようにしてあったのでありますけれども、何せ絶壁の処で落ちかかったのですから堪りません、二人に負けて第三番目も落ちて行く。それからフランシス・ダグラス卿・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・おもしろきさまの巌よと心留まりて、ふりかえり見れば、すぐその傍の山の根に、格子しつらい鎖さし固め、猥に人の入るを許さずと記したるあり。これこそ彼の岩窟ならめと差し覗き見るに、底知れぬ穴一つようぜんとして暗く見ゆ。さてはいよいよこれなりけりと・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・やがてバスは駅前の広場に止り、ぞろぞろ人が降りて、と見ると佐吉さんが白浴衣着てすまして降りました。私は、唸るほどほっとしました。 佐吉さんが来たので、助かりました。その夜は佐吉さんの案内で、三島からハイヤーで三十分、古奈温泉に行きました・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 私がお茶を持って客間へ行ったら、誰やらのポケットから、小さい林檎が一つころころところげ出て、私の足もとへ来て止り、私はその林檎を蹴飛ばしてやりたく思いました。たった一つ。それをお土産だなんて図々しくほらを吹いて、また鰻だって後で私が見・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・ 四 切符の鋏穴 日比谷止まりの電車が帝劇の前で止まった。前の方の線路を見るとそこから日比谷まで十数台も続いて停車している。乗客はゾロゾロ下り始めたが、私はゆっくり腰をかけていた。すると私の眼の前で車掌が乗客の一人・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 更に事柄を簡単にするため、地殻の弱点はただ一箇所に止まり、地震が起るとせば必ずその点に起るものと仮定せん。且つまた第二次原因の作用は毫も履歴効果を有せず、すなわち単に現在の状況のみによりて事柄が定まると仮定せん。かくのごとき理想的の場・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・「止りましてからお降り下さい。」と車掌のいうより先に一人が早くも転んでしまった。無論大した怪我ではないと合点して、車掌は見向きもせず、曲り角の大厄難、後の綱のはずれかかるのを一生懸命に引直す。車は八重に重る線路の上をガタガタと行悩んで、・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫