・・・随って会えば万更路人のように扱われもしなかったが、親しく口を利いた正味の時間は前後合して二、三十分ぐらいなもんだったろう。 が、沼南の「復たドウゾ御ユックリ」で巧みに撃退されたのは我々通り一遍の面識者ばかりじゃなかった。沼南と仕事を侶に・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・南朝五十七年も其前後の準備や終結を除いた正味は二十五年ぐらいなものであろう。世界を震撼した仏国革命も正味は六七年間である。千七百八十九年の抑々の初めから革命終って拿破烈翁に統一せられた果が、竟にウワータールーの敗北に到るまでを数えても二十六・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ それは、その如何にも新らしい快よい光輝を放っている山本山正味百二十匁入りのブリキの鑵に、レッテルの貼られた後ろの方に、大きな凹みが二箇所というもの、出来ていたのであった。何物かへ強く打つけたか、何物かで強く打ったかとしか思われない、ひ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・そこへ出すものは、何でも正味の料理だけなんですからね。料理人は骨が折れますよ」「きまったお客さんはおもに京橋時代からの店のお得意です」と新七も母に言って見せた。「時節が時節ですから、皆さんの来易いようにして、安く召上って頂く。定食が・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ この興行には添えものの映画を別にして正味二、三時間の間に三十に近い「景」が展開される。一景平均五分程度という急速なテンポで休止なしに次から次へと演ぜられる舞台や茶番や力技は、それ自身にはほとんど何の意味もないようなものでありながらとも・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・そうしてその積分されたものの掛け値なしの正味はと言えば結局科学の収穫だけではないかという気がする。思想や知恵などという流行物はどうもいつも一方だけへ進んでいるとは思われない。 七 妙な夢を見た。大河の岸に建った家・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・左れば男女交際は外面の儀式よりも正味の気品こそ大切なれ。女子の気品を高尚にして名を穢すことなからしめんとならば、何は扨置き父母の行儀を正くして朝夕子供に好き手本を示すこと第一の肝要なる可し。又結婚に父母の命と媒酌とにあらざれば叶わずと言う。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・扨、小僧ますをとりて酒を入れ候に、酒は事もなく入り、遂に正味一斗と相成り候。山男大に笑いて二十五文を置き、瓢箪をさげて立ち去り候趣、材木町総代より御届け有之候。」 これを読んだとき、工芸学校の先生は、机を叩いて斯うひとりごとを言いました・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・そして、「わかったことは、かれらは赤くも青くもないという一事です。正味は、酸性でもアルカリ性でもありはしない。ただの水にすぎません。」 この評論家の文章は、おそらく彼と同じ程度の教養をもっている科学その他の専門分野の同年輩人をおどろかせ・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ 討議は正味八時間余ブッ通して行われ、日本プロレタリア作家同盟は第三回大会で、内容的に、一歩、確然たる前進をした。 一九三〇年の第二回大会で、作家同盟は「文学のボルシェビキ化」を決議した。そして、「前衛の目をもって書く」ことを目・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫