・・・いつか使に来た何如璋と云う支那人は、横浜の宿屋へ泊って日本人の夜着を見た時に、「是古の寝衣なるもの、此邦に夏周の遺制あるなり。」とか何とか、感心したと云うじゃないか。だから何も旧弊だからって、一概には莫迦に出来ない。』その中に上げ汐の川面が・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・仲間と云おうか親分と云おうか、兎に角私が一週間前此処に来てからの知合いである。彼の名はヤコフ・イリイッチと云って、身体の出来が人竝外れて大きい、容貌は謂わばカザン寺院の縁日で売る火難盗賊除けのペテロの画像見た様で、太い眉の下に上睫の一直線に・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・その好い人が町を離れて此処で清い空気を吸って、緑色な草木を見て、平日よりも好い人になって居るのだ。初の内は子供を驚かした犬を逐い出してしまおうという人もあり、中には拳銃で打ち殺そうなどという人もあった。その内に段々夜吠える声に聞き馴れて、し・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・従って、もしも此処に真に国家と個人との関係に就いて真面目に疑惑を懐いた人があるとするならば、その人の疑惑乃至反抗は、同じ疑惑を懐いた何れの国の人よりも深く、強く、痛切でなければならぬ筈である。そして、輓近一部の日本人によって起されたところの・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ しかるに、観聞志と云える書には、――斎川以西有羊腸、維石厳々、嚼足、毀蹄、一高坂也、是以馬憂これをもってうまかいたいをうれう、人痛嶮艱、王勃所謂、関山難踰者、方是乎可信依、土人称破鐙坂、破鐙坂東有一堂、中置二女影、身着戎衣服、頭戴烏帽・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・、最も生活と近接して居って最も家族的であって、然も清閑高雅、所有方面の精神的修養に資せられるべきは言うを待たない、西洋などから頻りと新らしき家庭遊技などを輸入するものは、国民品性の特色を備えた、在来の此茶の湯の遊技を閑却して居るは如何なる訳・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
跡のはげたる入長持 聟入、取なんかの時に小石をぶつけるのはずいぶんらんぼうな事である。どうしたわけでこんな事をするかと云うと是はりんきの始めである。人がよい事があるとわきから腹を立てたりするのも世の中の人心・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・二代目喜兵衛が譲り受けた軽焼屋はいつごろからの店であったか、これも解らぬが、その頃は最早軽焼屋の店は其処にも此処にもあってさして珍らしくなかったようだ。 が、長崎渡りの珍菓として賞でられた軽焼があまねく世間に広がったは疱瘡痲疹の流行が原・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・と云うも、然し是れとても亦来世の約束を離れたる道徳ではない、永遠の来世を背景として見るにあらざれば垂訓の高さと深さとを明確に看取することは出来ない。「心の貧しき者は福なり」、是れ奨励である又教訓である、「天国は即ち其人の有なれば也」、是・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・ 茲に苦しんでいる人間があるとする。それを傍の人間が救う、その行為が果して愛であるか否かは余程疑問である。苦しんでいる人間をして飽くまで苦しませるという事は、その人間が軈て何物かに突当る事を得せしむるものだ。半途でそれを救うとしたならば・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
出典:青空文庫