・・・ すると愕ろいたことは学校帰りの子供らが五十人も集って一列になって歩調をそろえてその杉の木の間を行進しているのでした。 全く杉の列はどこを通っても並木道のようでした。それに青い服を着たような杉の木の方も列を組んであるいているように見・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・今までじっと立っていた馬は、この時一緒に頸をあげ、いかにもきれいに歩調を踏んで、厩の方へ歩き出し、空のそりはひとりでに馬について雪を滑って行きました。赤シャツの農夫はすこしわらってそれを見送っていましたが、ふと思い出したように右手をあげて自・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
・・・ そこででんしんばしらは少し歩調を崩して、やっぱり軍歌を歌って行きました。「ドッテテドッテテ、ドッテテド、 右とひだりのサアベルは たぐいもあらぬ細身なり。」 じいさんは恭一の前にとまって、からだをすこしかがめま・・・ 宮沢賢治 「月夜のでんしんばしら」
・・・世界を見わたせば、一つの国が、封建的な性質からより民主化されて来るにつれて、それと歩調を一つにして、婦人の社会生活全面が、変化し、より合理的になって来ている。 世界には、現在のところ、興味ある民主社会の三つの典型が並びあって生活している・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・雑誌『新日本文学』は、人から人へ、都会から村へ、海から山へと、苦難を経た日本の文学が、いまや新しい歩調でその萎えた脚から立ち上るべき一つのきっかけを伝えるものとして発刊される。私たち人民は生きる権利をもっている。生きるということは、単に生存・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・春三月 発芽を待つ草木と二十五歳、運命の隠密な歩調を知ろうとする私とは双手を開き空を仰いで意味ある天の養液を四肢 心身に 普く浴びようとするのだ。 二月十六日 ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
その家は夏だけ開いた。 冬から春へかけて永い間、そこは北の田舎で特別その数ヵ月は歩調遅く過ぎるのだが、家は裏も表も雨戸を閉めきりだ。屋根に突出した煙の出ぬ細い黒い煙突を打って初冬の霰が降る。積った正月の雪が、竹藪の竹を・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・ 三 風がわりな歩調で歩いて来たにせよ、作者として一定の方法が展望されていたことは、今日までの過程でうけた批評のあるものについて、いくつかの問題を考えさせている。 その一つは「道標」第一巻から第二巻にか・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・と社会との対立が問題となって西欧の「私小説の歩調に接近して来た」と見たのは小林秀雄氏である。氏はヨーロッパ文学において人文主義の時代から十九世紀の自然主義時代に至る自我の発展「社会化した私」と、自然主義が文芸思潮として移入した明治時代の日本・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・と栖方はまた呟いたが、歩調は一層活溌に戞戞と響いた。並んだ梶は栖方の歩調に染ってリズミカルになりながら、割れているのは群衆だけではないと思った。日本で最も優秀な実験室の中核が割れているのだ。 栖方が待たせてあると云った自動車は、渋谷の広・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫