・・・その頃私は芝居へ行く時は、必ず眼鏡を持って行ったので、勝美夫人もその円い硝子の中に、燃え立つような掛毛氈を前にして、始めて姿を見せたのです。それが薔薇かと思われる花を束髪にさして、地味な色の半襟の上に、白い二重顋を休めていましたが、私がその・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ その前へ毛氈を二枚敷いて、床をかけるかわりにした。鮮やかな緋の色が、三味線の皮にも、ひく人の手にも、七宝に花菱の紋が抉ってある、華奢な桐の見台にも、あたたかく反射しているのである。その床の間の両側へみな、向いあって、すわっていた。上座・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・脇正面、橋がかりの松の前に、肩膝を透いて、毛氈の緋が流れる。色紙、短冊でも並びそうな、おさらいや場末の寄席気分とは、さすが品の違った座をすすめてくれたが、裾模様、背広連が、多くその席を占めて、切髪の後室も二人ばかり、白襟で控えて、金泥、銀地・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・変れば変るもので、まだ、七八ツ九ツばかり、母が存生の頃の雛祭には、緋の毛氈を掛けた桃桜の壇の前に、小さな蒔絵の膳に並んで、この猪口ほどな塗椀で、一緒に蜆の汁を替えた時は、この娘が、練物のような顔のほかは、着くるんだ花の友染で、その時分から円・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・重箱を持参で茣蓙に毛氈を敷くのだから、いずれも身ぎれいに装った。中に、襟垢のついた見すぼらしい、母のない児の手を、娘さん――そのひとは、厭わしげもなく、親しく曳いて坂を上ったのである。衣の香に包まれて、藤紫の雲の裡に、何も見えぬ。冷いが、時・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・白魚よし、小鯛よし、緋の毛氈に肖つかわしいのは柳鰈というのがある。業平蜆、小町蝦、飯鮹も憎からず。どれも小さなほど愛らしく、器もいずれ可愛いのほど風情があって、その鯛、鰈の並んだ処は、雛壇の奥さながら、竜宮を視るおもい。 (もしもし何処・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・ただ緋毛氈のかわりに、敷妙の錦である。 ことごとく、これは土地の大名、城内の縉紳、豪族、富商の奥よりして供えたものだと聞く。家々の紋づくしと見れば可い。 天人の舞楽、合天井の紫のなかば、古錦襴の天蓋の影に、黒塗に千羽鶴の蒔絵をした壇・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 黒い毛氈の上に、明石、珊瑚、トンボの青玉が、こつこつと寂びた色で、古い物語を偲ばすもあれば、青毛布の上に、指環、鎖、襟飾、燦爛と光を放つ合成金の、新時代を語るもあり。……また合成銀と称えるのを、大阪で発明して銀煙草を並べて売る。「・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・その窓際には一段と高い床が造りつけてあって、そこに支那風の毛氈なぞも敷きつめてある。部屋の装飾はすべて広瀬さんの好みらしく、せいぜい五組か六組ほどの客しか迎えられない狭い食堂ではあるが、食卓の置き方からして気持好く出来ていた。「どうです・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・清水寺のすぐちかくに赤い毛氈を敷いた縁台を二つならべて置いてある小さな甘酒屋で知り合った。 私が講義のあいまあいまに大学の裏門から公園へぶらぶら歩いて出ていって、その甘酒屋にちょいちょい立ち寄ったわけは、その店に十七歳の、菊という小柄で・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫