・・・ 梅雨期が来ると一雨ごとに緑の毛氈が濃密になるのが、不注意なものの目にもきわ立って見える。静かな雨が音もなく芝生に落ちて吸い込まれているのを見ていると、ほんとうに天界の甘露を含んだ一滴一滴を、数限りもない若芽が、その葉脈の一つ一つを歓喜・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・ここはもうフランスの国境近くで、屋敷のベランダから牧場越しに国境の森が見え、またヴォルテールの住まっていたという家も見えます。毛氈のような草原に二百年もたった柏の木や、百年余の栗の木がぽつぽつ並んで、その間をうねった小道が通っています。地所・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ 劇場の中のまるい広場には、緑の草の毛氈の中に真紅の虞美人草が咲き乱れて、かよわい花弁がわずかな風にふるえていた。よく見ると鳥頭の紫の花もぽつぽつ交じって咲いていた。この死滅した昔の栄華と歓楽の殿堂の跡にこんなかよわいものが生き残ってい・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・目で見なかった代わりに、自分の想像のカンバスの上には、美しい青草の毛氈の上に安らかに長く手足を延ばして寝ている黄金色の猫の姿が、輝くような強い色彩で描かれている。その想像の絵が実際に目で見たであろうよりもはるかに強い現実さをもって記憶に残っ・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・美しい毛氈がいつでも敷いてあって、欄間に木彫の竜の眼が光っていた。 いつか信さんの部屋へ遊びに行った時、見馴れぬ絵の額がかかっていた。何だと聞いたら油画だと云った。その頃田舎では石版刷の油画は珍しかったので、西洋画と云えば学校の臨画帖よ・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
・・・その昔、芝居茶屋の混雑、お浚いの座敷の緋毛氈、祭礼の万燈花笠に酔ったその眼は永久に光を失ったばかりに、かえって浅間しい電車や電線や薄ッぺらな西洋づくりを打仰ぐ不幸を知らない。よしまた、知ったにしても、こういう江戸ッ児はわれら近代の人の如く熱・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 高き室の正面に、石にて築く段は二級、半ばは厚き毛氈にて蔽う。段の上なる、大なる椅子に豊かに倚るがアーサーである。「繋ぐ日も、繋ぐ月もなきに」とギニヴィアは答うるが如く答えざるが如くもてなす。王を二尺左に離れて、床几の上に、纎き指を・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・芝生の上はかなりの人出で、毛氈の上に重箱を開いて酒を飲んでいる連中が幾組もあった。大人の遊山の様がいかにも京都らしい印象を彼等に与えた。 円山の方へ向って行く。往来が疎らになった彼方から、女が二人来た。ぼんやり互の顔が見分けられる近さに・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・何となし斯う、熱い気持のする柳の下に細々とかんテラがともって色のあせかかった緋毛氈の上に、古のかおりのほんのりある様な螺鈿の盆や小箱や糸のほつれた刀袋やそんなものは夜店あきんどが自分の生活のためにこうやって居るとは思われない。うす黒い柳の幹・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・ ○大きな机には赤く古ぼけた毛氈がしいてある。竹の筆づつには、ほしかたまったのや、穂の抜けたのや沢山の絵筆がささって居る。 ○弘法様が信心なそうな。 ○妾になる女は、丁度見世物の番人のような顔をして、爺さんをとりあつかっ・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
出典:青空文庫