・・・第一容色はよし、気立てはよし、優しくはある、することなすこと、おまえのことといったら飯のくいようまで気に入るて。しかしそんなことで何、巡査をどうするの、こうするのという理窟はない。たといおまえが何かの折に、おれの生命を助けてくれてさ、生命の・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・浮世を茶にせずとも自分の気に入るように革新出来ぬ事は無い。文人の生活は昔とは大に違っている。今日では何も昔のように社会の落伍者、敗北者、日蔭者と肩身を狭く謙り下らずとも、公々然として濶歩し得る。今日の文人は最早社会の寄生虫では無い、食客では・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・「そりゃ任せようとも、お前に似てさえいりゃ俺の気に入るんだから」「およしよ、からかうのは。私のようなこんな気の利かないお多福でなしに、縹致なら気立てなら、どこへ出しても恥かしくないというのを捜して上げるから、ね、今から楽しみにして待・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 自分はどうしてこう老人の気に入るだろう。老人といえば升屋の老人は今頃誰を対手に碁を打っていることやら。 六兵衛は又こう言った「先生は一度妻を持たことが有るに違いなかろう」「どうして知れる」「どうしてチュウて、それは老人・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・同じものが何度も何度も、監督の気に入るまでとり直される。この場合には脚本中における各ショットの位置や順序にはかまわず、背景やセットの同じものを便宜上一度にとってしまうという事も必要になって来る。建築の場合に鋳物は鋳物、ガラスはガラスというふ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・かつてのら猫の遊び場所であったつつじの根もとの少しくぼんだ所は、何かしらやはりどの猫にも気に入ると見えて、ボールを追っかけたりして駆け回る途中で、きまったようにそこへ駆け込んだ。そして餌をねらう猛獣のような姿勢をして抜き足で出て来て、いよい・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・それを、普通の学者は単に文学と科学とを混同して、甲の国民に気に入るものはきっと乙の国民の賞讃を得るにきまっている、そうした必然性が含まれていると誤認してかかる。そこが間違っていると云わなければならない。たといこの矛盾を融和する事が不可能にし・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・だから自分の気に入る、気に入らないということは、お友達と議論なさる時に「そんなに感情的になったって駄目よ」とおっしゃるでしょう。それからあなた方に申すのは失礼かも知れないけれども、たとえば恋愛でだまされた時何でだまされたか。あなた方は理窟で・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・ほら、いつぞや、若竹をたべた日本橋の小料理や、あすこの持家で、気に入るかどうか、屋根は茅です。」そして、その辺の地理の説明がこまかに書かれていた。鎌倉といっても大船駅で降り、二十何町か入った山よりのところ、柳やという旅籠屋があって風呂と食事・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・ 性格的にはベルニィ夫人と全く反対のカストリィ公爵夫人の気に入るために、バルザックは数県から王党派代議士として立候補し、いずれも落選した。所謂高貴な骨董趣味に溺れて莫大な蒐集をはじめたり、邸宅を構えようとしたり。総ては金のいることばかり・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
出典:青空文庫