・・・「同役(といつも云う、士の果か、仲間は番でござりまして、唯今水瓶へ水を汲込んでおりまするが。」「水を汲込んで、水瓶へ……むむ、この風で。」 と云う。閉込んだ硝子窓がびりびりと鳴って、青空へ灰汁を湛えて、上から揺って沸立たせるよう・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・就中、恐ろしかったというのは、或晩多勢の人が来て、雨落ちの傍の大きな水瓶へ種々な物品を入れて、その上に多勢かかって、大石を持って来て乗せておいて、最早これなら、奴も動かせまいと云っていると、その言葉の切れぬ内に、グワラリと、非常な響をして、・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・ 今朝、松本で、顔を洗った水瓶の水とともに、胸が氷に鎖されたから、何の考えもつかなかった。ここで暖かに心が解けると、……分かった、饂飩で虐待した理由というのが――紹介状をつけた画伯は、近頃でこそ一家をなしたが、若くて放浪した時代に信州路・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・水が飲みたいんで水瓶の水を取ろうとして、出血の甚しかったんを知り、『とても生きて帰ることが出来んなら、いッそ戦線に於て死にます』云うたら、『じゃア、お前の勝手に任す』云うて、その兵はいずれかへ去った。この際、外に看護してくれるものはなかった・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・まるで希臘の水瓶である。エマニュエル・ド・ファッリャをしてシャコンヌ舞曲を作らしめよ! この家はこの娘のためになんとなく幸福そうに見える。一群の鶏も、数匹の白兎も、ダリヤの根方で舌を出している赤犬に至るまで。 しかし向かいの百姓家は・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・卓あり、粗末なる椅子二個を備え、主と客とをまてり、玻璃製の水瓶とコップとは雪白なる被布の上に置かる。二郎は手早くコップに水を注ぎて一口に飲み干し、身を椅子に投ぐるや、貞二と叫びぬ。 声高く応してここに駆け来る男は、色黒く骨たくましき若者・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・引掛に結んだ昼夜帯、凡て現代の道徳家をしては覚えず眉を顰めしめ、警察官をしては坐に嫌疑の眼を鋭くさせるような国貞振りの年増盛りが、まめまめしく台所に働いている姿は勝手口の破れた水障子、引窓の綱、七輪、水瓶、竈、その傍の煤けた柱に貼った荒神様・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・何でも人夫どもに水を飲ませるのが悪いというので、水瓶の処へ番兵を立てる事になった。自分は足がガクガクするように感ぜられて、室に帰って寐ると、やがて足は氷の如く冷えてしもうた。これは先刻風呂に這入った反動が来たのであるけれど、時機が時機である・・・ 正岡子規 「病」
・・・竹内の組から抜いて高見につけられた小頭千場作兵衛は重手を負って台所に出て、水瓶の水を呑んだが、そのままそこにへたばっていた。 阿部一族は最初に弥五兵衛が切腹して、市太夫、五太夫、七之丞はとうとう皆深手に息が切れた。家来も多くは討死した。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫