・・・三尺の平床には、大徳寺物の軸がさびしくかかって、支那水仙であろう、青い芽をつつましくふいた、白交趾の水盤がその下に置いてある。床を前に置炬燵にあたっているのが房さんで、こっちからは、黒天鵞絨の襟のかかっている八丈の小掻巻をひっかけた後姿が見・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・立処に、無熱池の水は、白き蓮華となって、水盤にふき溢れた。 ――ああ、一口、水がほしい―― 実際、信也氏は、身延山の石段で倒れたと同じ気がした、と云うのである。 何より心細いのは、つれがない。樹の影、草の影もない。噛みたいほどの・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・うまく根といっしょに引き抜かれたなら、家に持って帰って、金魚の入っている水盤に植えようと空想していたのでした。 このとき、あちらの道を歩いてくる人影を見ました。よく、見ると、洋服を被た、一人の紳士でした。「どこへゆくのだろう?」・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・ そして水盤の愛する赤い石をながめながら我が死後、幾何の間、石はこのままの姿を存するであろうかと空想するのでした。 するとこの松は如何、この蘭は如何という風にすべて生命あるものの齢について考えられるのでした。 中にも独り老木の梅・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・玄関をあけると、下駄箱の上に菊の花を活けた水盤が置かれていました。落ちついて、とても上品な奥様が出て来られて、私にお辞儀を致しました。私は家を間違ったのではないかと思いました。「あの、小説を書いて居られる戸田さんは、こちらさまでございま・・・ 太宰治 「恥」
・・・ この絵でも、この長方形の飛び石の上に盆栽が一つと水盤が一つと並べておいてあるのがすっかり昔のままであるような気がするが、しかしこの盆栽も水盤も昔のものがそのまま残っているはずはない。それだのに不思議な錯覚でそれが二十年も昔と寸分ちがわ・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・顔にふるる芭蕉涼しや籐の寝椅子涼しさや蚊帳の中より和歌の浦水盤に雲呼ぶ石の影涼し夕立や蟹這い上る簀の子縁したたりは歯朶に飛び散る清水かな満潮や涼んでおれば月が出る 日本固有の涼しさを十七字に結晶さ・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・折々静かな部屋でそれをくって見るのがいい心持であったが、その中に一枚、少女が裸で水盤のわきにあっち向きに坐って片手をのばして水盤の水とたわむれ遊んでいる絵があった。丁度自分と同じぐらいの年ばえの少女の背中は美しく少しねじられていて、しなやか・・・ 宮本百合子 「青春」
出典:青空文庫