・・・それからまたガラス窓などに水蒸気が凝結して露を結んでいるのが、だんだん露の生長するにつれてガラス面に沿うて落下し始める。その際に露の流れが次第に合流して樹枝状の模様を作る。この場合は前の多くの場合とは反対に枝の末端のほうから樹幹のほうへ事が・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・ しかしまた自分の不幸なるコスモポリチズムは、自分をしてそのヴェランダの外なる植込の間から、水蒸気の多い暖な冬の夜などは、夜の水と夜の月島と夜の船の影とが殊更美しく見えるメトロポオル・ホテルの食堂をも忘れさせない。世界の如何なる片隅をも・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 中間の堤防はその左右ともに水が流れていて、遠く両岸の町や工場もかくれて見えず、橋の影も日の暮れかかるころには朦朧とした水蒸気に包まれてしまうので、ここに杖を曳く時、わたくしは見る見る薄く消えて行く自分の影を見、一歩一歩風に吹き消される・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 丁度、雨にそぼぬれた獣物が、一つところにじっと団り合って、お互の毛の臭い、水蒸気に混って漂う息の臭いを嗅ぎ合うような親密さ、その直接な――種々な虚飾や、浅薄な仮面をかなぐり捨てて、持って生れた顔と顔とで向い合う心持は、私の今まで知らな・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・鍔広のメキシコ帽をかぶり…… 空は水蒸気の多い水浅黄だ。植物は互に縺れこんぐらかって悩ましく鬱葱としている。彼の飾帯はその裡で真紅であった。強烈な色彩がいつまでも、遠くから見えた。――ミシシッピイ――〔一九二四年十一月〕・・・ 宮本百合子 「翔び去る印象」
・・・ キラキラしい太陽が面を出したので雪からは少しずつ水蒸気が立って行くのが見える。あたりが何となし、うるおって、ハアッと息を遠くから吹きかけた鏡の面の様な空合になって居る。太陽は美くしい色に輝いて居るけれ共、寒さはひどいので、小川の面から・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 春先の様に水蒸気が多くないので、まるで水銀でもながす様に、テラテラした海面の輝きが自然に私の眼を細くさせる。 この海からの反射光線が、いつでも私の頭――眼玉の奥をいたくさせるのである。 此処いら――江の島、七里ヶ浜あたりの波は・・・ 宮本百合子 「冬の海」
・・・船の機関の何処かが破裂して甲板が水蒸気で濛々となったりした時、実際の危険はなくても、その予感でもう怯え、戸惑い、喚き立てる船客等の恐怖心のつよさ。しかも、喧嘩も、恐慌もない時には、低いテントの下に坐り、或は寝そべりながら飲んだり食ったりし、・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・向河岸の方を見ると、水蒸気に飽いた、灰色の空気が、橋場の人家の輪廓をぼかしていた。土手下から水際まで、狭い一本道の附いている処へ、かわるがわる舟を寄せて、先ず履物を陸へ揚げた。どの舟もどの舟も、載せられるだけ大勢の人を載せて来たので、お酌の・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫