・・・その手で、挫ぐばかり確と膝頭を掴んで、呼吸が切れそうな咳を続けざまにしたが、決然としてすっくと立った。「ちょっと御挨拶を申上げます、……同室の御婦人、紳士の方々も、失礼ながらお聞取を願いとうございます。私は、ここに隣席においでになる、窈・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 夫人は決然たるものありき。「何も痲酔剤を嗅いだからって、譫言を謂うという、極まったこともなさそうじゃの」「いいえ、このくらい思っていれば、きっと謂いますに違いありません」「そんな、また、無理を謂う」「もう、御免ください・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・―― 私は決然として、身ごしらえをしたのであります。「電報を――」 と言って、旅宿を出ました。 実はなくなりました父が、その危篤の時、東京から帰りますのに、とこの町から発信した……偶とそれを口実に――時間は遅くはありませんが・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ その歩行や、この巡査には一定の法則ありて存するがごとく、晩からず、早からず、着々歩を進めて路を行くに、身体はきっとして立ちて左右に寸毫も傾かず、決然自若たる態度には一種犯すべからざる威厳を備えつ。 制帽の庇の下にものすごく潜める眼・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・その翌くる日に僕は十分母の精神の休まる様に自分の心持を話して、決然学校へ出た。 * * * 民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。民子は僕の写真と僕の手紙と・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・れてから書き出すまでに二日しか費さなかったぐらいだから、安易な態度ではじめたのだが、八九回書き出してから、文化部長から、通俗小説に持って行こうとする調子が見えるのはいかん、調子を下すなと言われたので、決然として、この作品に全精力を打ちこむ覚・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・私の神経は暗い行手に向かって張り切り、今や決然とした意志を感じる。なんというそれは気持のいいことだろう。定罰のような闇、膚を劈く酷寒。そのなかでこそ私の疲労は快く緊張し新しい戦慄を感じることができる。歩け。歩け。へたばるまで歩け」 私は・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ 何という皮肉の言葉ぞ、今の自分ならば決然と、「そうですか、宜しゅう御座います。それじゃ御言葉に従がいまして親とも思いますまい、子とも思って下さいますな。子とお思いになると飛だお恨みを受けるような事も起るだろうと思いますから。就いて・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・と、決然として身を少く開く時、主人の背後の古襖左右へ急に引除けられて、「慮外御免。」と胴太き声の、蒼く黄色く肥ったる大きなる立派な顔の持主を先に、どやどやと人々入来りて木沢を取巻くように坐る。臙脂屋早く身退りし、丹下は其人を仰ぎ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・勇敢な高橋事務員は、その中へ決然一人でとびこんで、ようやく、向うの岸にひなんしていた船にたどりつき、船頭たちに、患者をはこんでくれるようにと、こんこんとたのみましたが、船頭はいやがって、がんとしておうじてくれません。すると幸い、だれも人のい・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
出典:青空文庫