・・・画は確か、「沼地」とか云うので、画家は知名の人でも何でもなかった。また画そのものも、ただ濁った水と、湿った土と、そうしてその土に繁茂する草木とを描いただけだから、恐らく尋常の見物からは、文字通り一顧さえも受けなかった事であろう。 その上・・・ 芥川竜之介 「沼地」
・・・三人はクララの立っている美しい芝生より一段低い沼地がかった黒土の上に単調にずらっとならんで立っていた――父は脅かすように、母は歎くように、男は怨むように。戦の街を幾度もくぐったらしい、日に焼けて男性的なオッタヴィアナの顔は、飽く事なき功名心・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・どうして自分の生涯を立てたかというに、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがあった、その沼地を伯父さんの時間でない、自分の時間に、その沼地よりことごとく水を引いてそこでもって小さい鍬で田地を拵えて・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・彼はいかにして砂地を田園に化せしか、いかにして沼地の水を排いしか、いかにして磽地を拓いて果園を作りしか、これ植林に劣らぬ面白き物語であります。これらの問題に興味を有せらるる諸君はじかに私についてお尋ねを願います。 * ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
一 豚 毛の黒い豚の群が、ゴミの溜った沼地を剛い鼻の先で掘りかえしていた。 浜田たちの中隊は、昂鉄道の沿線から、約一里半距った支那部落に屯していた。十一月の初めである。奉天を出発した時は、まだ、満洲の平原に青い草が見えていた・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・途中の沼地に草が茂って水牛が遊んでいたり、川べりにボートを造っている小屋があったり、みんなおもしろい画題になるのであった。土人の女がハイカラな洋装をしてカトリックの教会からゾロゾロ出て来るのに会った。 寺へ着くと子供が蓮の花を持って来て・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ ひろびろとした道路が、そこにも開けていた。「ここはこの間釣りに来たところと、また違うね」私は浜辺へ来たときあたりを見まわしながら言った。 沼地などの多い、土地の低い部分を埋めるために、その辺一帯の砂がところどころ刳り取られてあ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・そこは沼地でございました。母さまは戻ろうとしてまたと仰っしゃったのでしたが童子はやっぱり停まったまま、家の方をぼんやり見ておられますので、母さまも仕方なくまた振り返って、蘆を一本抜いて小さな笛をつくり、それをお持たせになりました。 童子・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・ 彼等が沼地へ馳けつけたときには、真裸体の禰宜様宮田が、着物の明いているところじゅうから水が入って、ブクブクとまるで水袋のようになっている若い男を、やっとのことで傍の乾いた草の上まで引きずり上げたところであった。 背が低くて、力持ち・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・そういう時彼は、茂みの中で朽ちた枝の上でも、沼地の滑り易い凸凹の上でも所きらわず真直行くといつかは道に出ることが出来た。ゴーリキイはその通りにやろうと決心した。その秋、ゴーリキイは、遂に大学のあるカザンへ出発することにしたのであった。・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫