・・・うんうんという唸声、それが頓て泣声になるけれど、それにも屈ずに這って行く。やッと這付く。そら吸筒――果して水が有る――而も沢山! 吸筒半分も有ったろうよ。やれ嬉しや、是でまず当分は水に困らぬ――死ぬ迄は困らぬのだ。やれやれ! 兎も角も、・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・と、私は半分泣声で繰返した。「とにかくあいつらを呼んでこなくては……」 私は突嗟に起ちあがって、電報を握ったまま暗い石段を駈け下り、石段の下で娘に会ったが同じことを言って、夢中で境内を抜けて一気にこぶくろ坂の上まで走った。そして坂の・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ ぼんやりしていて、それが他所の子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」 そんなことまで思っている。 彼女がこと切れた時よりも、火葬場での時よりも、変わった土地へ来てする・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・』と泣声を振わして言いますから、『そういうことなら投擲って置く訳に行かない。』と僕はいきなり母の居間に突入しました。里子は止める間もなかったので僕に続いて部屋に入ったのです。僕は母の前に座るや、『貴女は私を離婚すると里子に言ったそうです・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ ジャケツに抱き上げられた子供は泣声を発しなかった。死んでいたのだ。「おい撃方やめろ!――俺等は誰のためにこんなことをしてるんだい!」 栗本が腹立たしげに云った。その声があまりに大きかったので機関銃を持っている兵士までが彼の方へ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・町の空で、子供の泣き声やけんかする声でも聞きつけると、私はすぐに座をたった。離れ座敷の廊下に出てみた。それが自分の子供の声でないことを知るまでは安心しなかった。 私のところへは来客も多かった。ある酒好きな友だちが、この私を見に来たあとで・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・その鳴き声に応ずる声がまた森の四方にひびきわたって、大地はゆるぎ、枝はふるい、石は飛びました。しかして途方にくれた母子二人は二十匹にも余る野馬の群れに囲まれてしまいました。 子どもは顔をおかあさんの胸にうずめて、心配で胸の動悸は小時計の・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・こんどは、ほとんど泣き声である。「伝統、ということになりますると、よほどのあやまちも、気がつかずに見逃してしまうが、問題は、微細なところに沢山あるのです。もっと自由な立場で、極く初等的な万人むきの解析概論の出ることを、切に、希望している次第・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・三 この男はどこから来るかと言うと、千駄谷の田畝を越して、櫟の並木の向こうを通って、新建ちのりっぱな邸宅の門をつらねている間を抜けて、牛の鳴き声の聞こえる牧場、樫の大樹に連なっている小径――その向こうをだらだらと下った丘陵の・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・そのたびに今もいる鴨羽の雌は人間で言わば仲を取りなし顔とでもいったような様子でそば近く寄って行って、いつもとは少しちがった特殊な低い鳴き声を発していたそうであったが、そのうちにある日突然その暴君の雄鳥の姿が池では見られなくなったそうである。・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
出典:青空文庫