・・・すると父は崖下へ貸長屋でも建てられて、汚い瓦屋根だの、日に干す洗濯物なぞ見せつけられては困る。買占めて空庭にして置けば閑静でよいと云って居られた。父にはどうして、風に吠え、雨に泣き、夜を包む老樹の姿が恐くないのであろう。角張った父の顔が、時・・・ 永井荷風 「狐」
・・・と洗濯したてのタウエルを畳みながら笑っている。「幽霊も由公にまで馬鹿にされるくらいだから幅は利かない訳さね」と余の揉み上げを米噛みのあたりからぞきりと切り落す。「あんまり短かかあないか」「近頃はみんなこのくらいです。揉み上げの長・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・旅館もあるし、洗濯屋もあった。町の四辻に写真屋があり、その気象台のような硝子の家屋に、秋の日の青空が侘しげに映っていた。時計屋の店先には、眼鏡をかけた主人が坐って、黙って熱心に仕事をしていた。 街は人出で賑やかに雑鬧していた。そのくせ少・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・そして選択してる内には自分で自分の胃の腑を洗濯してしまうことになるんだ。お前の云う通りだ。 私が予め読者諸氏に、ことわって置く必要があると云うのは、これから、第三金時丸の、乗組員たちが、たといどんな風になって行くにしても、「第一、そんな・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・されどもまず米の相場を一両に一斗と見込み、この割合にすれば、たとい塾中におるも外に旅宿するも、一ヶ月金六両にて、月俸、月金、結髪、入湯、筆紙の料、洗濯の賃までも払うて不自由なかるべし。ただし飲酒は一大悪事、士君子たる者の禁ずべきものなれば、・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・家の前の栗の木の列は変に青く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯をするとでもいうように激しくもまれていました。 青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎられた青い栗のいがは黒い地面にたくさん落ちていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どん・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・けれども、あの日台所で燻い竈の前にかがみ、インフレーションの苦しい家事をやりくって、石鹸のない洗濯物をしていた主婦のためには、新憲法のその精神がはっきり具体化されたような変化はなかった。今日は男も女も、それが地みちの生活をしている人であるな・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・ 橋の袂に、河原へ洗濯に降りるものの通う道がある。そこから一群れは河原に降りた。なるほど大層な材木が石垣に立てかけてある。一群れは石垣に沿うて材木の下へくぐってはいった。男の子は面白がって、先に立って勇んではいった。 奥深くもぐって・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・お霜は洗濯竿の脱れた音を聞きつけて立ち上った。「お霜さん。煙草一ぷく吸わしてくれんかな。」「安次、行くぞ。」勘次は云った。「お前ひとりで行って来てくれんかよ。」「お前、行かにゃ何んにもならんが。」「もうお前、ひ怠るてひ怠・・・ 横光利一 「南北」
・・・一山もある、濡れた洗濯物を車に積んで干場へ運んで行く事もある。何羽いるか知れない程の鶏の世話をしている事もある。古びた自転車に乗って、郵便局から郵便物を受け取って帰る事もある。 エルリングの体は筋肉が善く発達している。その幅の広い両肩の・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫