つだうめこ【津田梅子】
[1864〜1929]教育家。江戸の生まれ。日本最初の女子留学生として、満7歳で岩倉具視遣外使節に同行して渡米。帰国後、華族女学校・女子高等師範学校教授。明治33年(1900)女子英学塾(のちの津田塾大学)を創設し、女子高等教育に尽力。
つだえいがくじゅく【津田英学塾】
津田塾大学の前身。
つだけんもつ【津田監物】
[?〜1567]室町後期の砲術家。津田流砲術の祖。紀伊の人。名は算長 (かずなが) 。種子島でポルトガル伝来の銃を譲り受けて砲術とその製造法を学んだ。
つだじゅくだいがく【津田塾大学】
東京都小平市にある私立大学。明治33年(1900)津田梅子が開設した女子英学塾を起源とし、津田英学塾、津田塾専門学校を経て、昭和23年(1948)新制大学として発足。
つだすけなお【津田助直】
江戸前期の刀工。近江 (おうみ) の人。通称、孫太夫。2世津田助広の門人。近江守と称した。生没年未詳。
つだすけひろ【津田助広】
江戸前期の刀工。 1 (初世)播磨 (はりま) の人。通称、弥兵衛。世に「そぼろ助広」とよばれた。生没年未詳。 2 (2世)[1637〜1682]摂津の人。通称、甚之丞。初世の養子。越前守と称し、井上真改と並ぶ名工。大坂新刀の第一人者で、濤瀾刃 (とうらんば) とよばれる独特の刃文 (はもん) を創始した。
つだせいふう【津田青楓】
[1880〜1978]画家。京都の生まれ。本名、亀治郎。初め日本画、のち洋画を学ぶ。二科会の創立に参画。左翼運動に参加したのち、同会脱会とともに日本画に復帰して南画風の作品を描いた。随筆・詩・書などでも活躍。
つだそうきち【津田左右吉】
[1873〜1961]歴史学者。岐阜の生まれ。文献批判に基づき、記紀の神話が客観的史実でないことを論証し、日本古代史の科学的研究を開拓した。のち、この上代研究が右翼思想家から告発され、昭和15年(1940)代表著作4点が発禁、ついで出版法違反で起訴され、早大教授を辞職した。著「神代史の研究」「古事記及日本書紀の研究」など。
つだそうきゅう【津田宗及】
[?〜1591]安土桃山時代の豪商・茶人。堺の人。三十六人会合衆 (えごうしゅう) の一人、天王寺屋津田宗達の子。号、幽更斎。茶を武野紹鴎 (たけのじょうおう) に学び、千利休・今井宗久とともに三宗匠と称された。「津田宗及茶湯日記」がある。
つだそうたつ【津田宗達】
[1504〜1566]室町後期の豪商・茶人。堺の会合 (えごう) 衆の一人。茶を武野紹鴎に学び、茶器の名品を多く所蔵した。