・・・よれよれに寝くたれた、しかも不つりあいに派手な浴衣を、だらしなく前上がりに着て、後ろへはほどけかかった帯の端をだらりとたらしている。頭髪もすずめの巣のように乱れているが、顔には年に似合わぬ厚化粧をしている。何かの病気で歩行が困難らしい。妙な・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ 雪江は鏡台に向かって顔を作っていたが、やがて派手な晴衣を引っぴろげたまま、隣の家へ留守を頼みに行ったりした。ちょうど女中が見つかったところだったが、まだ来ていなかった。「叔父さんのお蔭で、二人いっしょに遊びに出られますのえ。今日が・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・「私は人のように派手なこと嫌いや。それにたんともないさかえ、こんなものなら一枚看板でも目立たんで、いいと思って」 道太は一反買ってやってもいいと思ったけれど、何か意味があるように思われるのが厭なので、わざと言わないでいた。「僕も・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 或時サローンに這入ったら派手な衣裳を着た若い女が向うむきになって、洋琴を弾いていた。その傍に背の高い立派な男が立って、唱歌を唄っている。その口が大変大きく見えた。けれども二人は二人以外の事にはまるで頓着していない様子であった。船に乗っ・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・その方がずっと派手で勇ましく、重吉を十倍も強い勇士に仕立てた。田舎小屋の舞台の上で重吉は縦横無尽に暴れ廻り、ただ一人で三十人もの支那兵を斬り殺した。どこでも見物は熱狂し、割れるように喝采した。そして舞台の支那兵たちに、蜜柑や南京豆の皮を投げ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・娘一人、徐に歩み入る、派手なる模様あるあっさりとしたる上着を着、紐を十字に結びたる靴を穿き、帽子を着ず、頸の周囲にヴェエルを纏娘。あの時の事を思えば、まあ、どんなに嬉しかったろう。貴方はもう忘れておしまいなされたか。貴方はわたしを非・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ミイラにも二種類あるが、エジプトのミイラというやつは死体の上を布で幾重にも巻き固めて、土か木のようにしてしまって、其上に目口鼻を彩色で派手に書くのである。其中には人がいるのには違いないが、表面から見てはどうしても大きな人形としか見えぬ。自分・・・ 正岡子規 「死後」
・・・そんな派手な、きれいな色は使うなというから、使わない、またつかわせない。それでいいでしょう。それだけのところに止まるとすれば私たち女自身の屈辱があるばかりだと思う。〔一九四〇年十二月〕 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・ 彼女の部屋の硝子から、此方に著たきりの派手な羽織のこんもりと小高い背を見せたまま別の世界の住人のように無交渉に納っている。 千代が、さしずをされずに拵えるものは、何でもない、彼女自身の大好物な味噌おじや丈だとわかったとき、さほ子は・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ところが、下女は今まで包ましくしていたのが、次第にお化粧をする、派手な着物を着る。なんとなく人の目に立つ。宮沢は気が気でない。とうとう下女の親許へ出掛けて行って、いずれ妻にするからと云って、一旦引き取らせて手当を遣っていた。そのうちにどうか・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫