・・・りて脱走し、遂に力尽きて降りたるまでは、幕臣の本分に背かず、忠勇の功名美なりといえども、降参放免の後に更に青雲の志を発して新政府の朝に富貴を求め得たるは、曩にその忠勇を共にしたる戦死者負傷者より爾来の流浪者貧窮者に至るまで、すべて同挙同行の・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・の主人公の家出、破婚、流浪の本質を描いているのだけれども、フランス文学にごく近接しているようなその作風が、やはり文学の肉体として敏い感覚性や批判の心をくるんでいるのは独特なアメリカの肉の厚ぼったさ、大きさ、ひろさの響である。 このところ・・・ 宮本百合子 「文学の大陸的性格について」
・・・忠広が封を除かれたとき、伝左衛門とその子の源左衛門とが流浪した。小十郎は源左衛門の二男で児小姓に召し出された者である。百五十石取っていた。殉死の先登はこの人で、三月十七日に春日寺で切腹した。十八歳である。介錯は門司源兵衛がした。原田は百五十・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・簑田は曾祖父和泉と申す者相良遠江守殿の家老にて、主とともに陣亡し、祖父若狭、父牛之助流浪せしに、平七は三斎公に五百石にて召し出されしものに候。平七は二十三歳にて切腹し、小姓磯部長五郎介錯いたし候。小野は丹後国にて祖父今安太郎左衛門の代に召し・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫