・・・何しろ達雄は飯を食うために、浅草のある活動写真館のピアノを弾いているのですから。 主筆 それは少し殺風景ですね。 保吉 殺風景でも仕かたはありません。達雄は場末のカフェのテエブルに妙子の手紙の封を切るのです。窓の外の空は雨になってい・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・久しぶりに和田と顔を合せると、浅草へ行こうというじゃないか? 浅草はあんまりぞっとしないが、親愛なる旧友のいう事だから、僕も素直に賛成してさ。真っ昼間六区へ出かけたんだ。――」「すると活動写真の中にでもい合せたのか?」 今度はわたし・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ 浅草寺観世音の仁王門、芝の三門など、あの真中を正面に切って通ると、怪異がある、魔が魅すと、言伝える。偶然だけれども、信也氏の場合は、重ねていうが、ビルジングの中心にぶつかった。 また、それでなければ、行路病者のごとく、こんな壁・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・「そうさね、たまにゃおまえの謂うことを聞くもいいかな、浅草へ行ってここへ来なかったろうもんなら、拝まれるんじゃなかったっけ」「なにしろ、三人とも揃ってらあ、どれが桃やら桜やらだ」「一人は丸髷じゃあないか」「どのみちはや御相談・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・「それは済みませんけれど」と言いながら、婆アさんが承知のしるしに僕の猪口に酒を酌いで、下りて行った。 三「お前の生れはどこ?」「東京」「東京はどこ?」「浅草」「浅草はどこ?」「あなたはしつッこ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・商牌及び袋には浅草御門内馬喰町四丁目淡島伊賀掾菅原秀慶謹製とあった。これが名物淡島軽焼屋のそもそもであった。二 江戸名物軽焼――軽焼と疱瘡痲疹 軽焼という名は今では殆んど忘られている。軽焼の後身の風船霰でさえこの頃は忘られて・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ その後再び東京へ転住したと聞いて、一度人伝に聞いた浅草の七曲の住居を最寄へ行ったついでに尋ねたが、ドウしても解らなかった。誰かに精しく訊いてから出直すつもりでいると、その中に一と月ほど経って、「小生事本日死去仕候」となった。一代の奇才・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・「遠い、浅草の方なんだ。」 その日、勇ちゃんは、学校から帰ると遊びにいきました。 すると、もう店には道具がなかったのです。「このすいれんをあげよう。クリーム色の花が咲くんだぜ。」と、木田が裏から持ってきました。「坊ちゃん・・・ 小川未明 「すいれんは咲いたが」
神田の司町は震災前は新銀町といった。 新銀町は大工、屋根職、左官、畳職など職人が多く、掘割の荷揚場のほかにすぐ鼻の先に青物市場があり、同じ下町でも日本橋や浅草と一風違い、いかにも神田らしい土地であった。 喧嘩早く、・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・オペレット。浅草気分。美人胴切り。 そんなプログラムで、晩く家へ帰った。 病気 姉が病気になった。脾腹が痛む、そして高い熱が出る。峻は腸チブスではないかと思った。枕元で兄が「医者さんを呼びに遣ろう・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫