・・・の中にある「浦島太郎」を買って来てくれた。こう云うお伽噺を読んで貰うことの楽しみだったのは勿論である。が、彼はそのほかにももう一つ楽しみを持ち合せていた。それはあり合せの水絵具に一々挿絵を彩ることだった。彼はこの「浦島太郎」にも早速彩色を加・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・実は太郎を、浦島の子に擬えて、潜に思い上った沙汰なのであった。 湖を遥に、一廓、彩色した竜の鱗のごとき、湯宿々々の、壁、柱、甍を中に隔てて、いまは鉄鎚の音、謡の声も聞えないが、出崎の洲の端に、ぽッつりと、烏帽子の転がった形になって、・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・たいてい皆いやいや引っ張り出されて、浦島太郎になって帰って来た連中やぞ。浦島太郎なら玉手箱の土産があるけど、復員は脊中の荷物だけが財産やぞ。その財産すっかり掏ってしもても、お前何とも感じへんのか」「…………」 亀吉は眼尻の下った半泣・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・半井卜養という狂歌師の狂歌に、浦島が釣の竿とて呉竹の節はろくろく伸びず縮まず、というのがありまするが、呉竹の竿など余り感心出来ぬものですが、三十六節あったとかで大に節のことを褒めていまする、そんなようなものです。それで趣味が高じて来るという・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」 私ひとり、何かと騒いでいる。「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」 とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。「川だわねえ、・・・ 太宰治 「海」
・・・けれども、それは、いかにしても、だめであった。浦島太郎。ふっと気がついたときには、白髪の老人になっていた。遠い。アンドレア・デル・サルトとは、再び相見ることは無い。もう地平線のかなたに去っている。雲煙模糊である。「アンリ・ベックの、……・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・こうした変化がたった二週間ばかりの間に起こったのである。浦島の物語の小さなひな形のようなものかもしれない。 植物の世界にも去年と比べて著しく相違が見えた。何よりもことしは時候が著しくおくれているらしく思われた。たとえば去年は八月半ばにた・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・中には閻魔の巾着、浦島の火打箱などといういかがわしいものもあるにはあるのである。また『諸国咄』の一項にも「おの/\広き世界を見ぬゆへ也」とあって、大蕪菜、大鮒、大山芋などを並べ「遠国を見ねば合点のゆかぬ物ぞかし」と駄目をおし、「むかし嵯峨の・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・譬喩を引けば浦島太郎が竜宮の一年はこの世界の十年に当たるというような空想や、五十年の人生を刹那に縮めて嘗め尽くすというような言葉の意味を、つまり「このエントロピーの時計で測った時の経過と普通の時計と比べて一年と十年また五十年と一瞬とに当たる・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・古風な猿蟹合戦、または浦島太郎。「ね、浦島さん、亀の子へのっかって海へ行ったのよ」 浦島太郎は亀にのり 波の上やら海の底 みのえは唄っているうちに稚な心に戻った。鈍いような、鋭いような、一種液体のような幼年時代がみの・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
出典:青空文庫