・・・ 松山へ来てから二月余り後、左近はその甲斐があって、ある日城下に近い海岸を通りかかると、忍駕籠につき添うた二人の若党が、漁師たちを急がせて、舟を仕立てているのに遇った。やがて舟の仕度が出来たと見えて、駕籠の中の侍が外へ出た。侍はすぐに編・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ 五 彼はかれこれ半年の後、ある海岸へ転地することになった。それは転地とは云うものの、大抵は病院に暮らすものだった。僕は学校の冬休みを利用し、はるばる彼を尋ねて行った。彼の病室は日当りの悪い、透き間風の通る二階・・・ 芥川竜之介 「彼」
土用波という高い波が風もないのに海岸に打寄せる頃になると、海水浴に来ている都の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・お前たちの母上は程なくK海岸にささやかな貸別荘を借りて住む事になり、私たちは近所の旅館に宿を取って、そこから見舞いに通った。一時は病勢が非常に衰えたように見えた。お前たちと母上と私とは海岸の砂丘に行って日向ぼっこをして楽しく二三時間を過ごす・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 場所は、言った通り、城下から海岸の港へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処に、昔から伝説を持った大な一面の石がある――義経記に、……加賀国富樫と言う所も近くなり、富樫の介と申すは当国の大名なり、鎌倉殿より仰は蒙らねども、内・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・々浦々到る処、同じ漁師の世渡りしながら、南は暖に、北は寒く、一条路にも蔭日向で、房州も西向の、館山北条とは事かわり、その裏側なる前原、鴨川、古川、白子、忽戸など、就中、船幽霊の千倉が沖、江見和田などの海岸は、風に向いたる白帆の外には一重の遮・・・ 泉鏡花 「海異記」
一 僕は一夏を国府津の海岸に送ることになった。友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであったのだが、たずねて行って見ると、いろいろ取り込みのことがあって、この夏は客の世話が出来ないと言うので、またその住持・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・樹木の繁茂は海岸より吹き送らるる砂塵の荒廃を止めました。北海沿岸特有の砂丘は海岸近くに喰い止められました、樅は根を地に張りて襲いくる砂塵に対していいました、ここまでは来るを得べししかしここを越ゆべからずと。北海に浜する国・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・つばめたちも、船に乗りおくれてはならぬと思って、その時分には、海岸の近くにきて、気をつけていました。そして、波間に、赤い船が見えると、「キイ、キイ……。」といって、喜んで鳴いたのです。 早く見つけたつばめは、それをまだ知らない友だち・・・ 小川未明 「赤い船とつばめ」
・・・ 私はそこの海岸通りへ出た。海から細く入江になっていて、伝馬や艀がひしひしと舳を並べた。小揚人足が賑かな節を合せて、船から米俵のような物を河岸倉へ運びこんでいる。晴れきって明るくはあるが、どこか影の薄いような秋の日に甲羅を干しながら、ぼ・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫