昨日 当時の言い方に従えば、○○県の○○海岸にある第○○高射砲隊のイ隊長は、連日酒をくらって、部下を相手にくだを巻き、○○名の部下は一人残らず軍隊ぎらいになってしまった。 彼は蓄音機という綽名を持ち、一年三百六十五日、一日も・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・そしてわずか一と月ほどの間に、あの療養地のN海岸で偶然にも、K君と相識ったというような、一面識もない私にお手紙をくださるようになったのだと思います。私はあなたのお手紙ではじめてK君の彼地での溺死を知ったのです。私はたいそうおどろきました。と・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ やがて歩けるようになると私は杖をついて海岸伝いの道をあるいてみる。歩ける嬉しさ、坐れる嬉しさ、自然に接しられる嬉しさは、そのいずれも叶わぬ不自由な境涯に落ちて一そうはっきりと私に分るようになった。もう今では崖の下の海で、晴れ間を見て子・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・ 伊豆や相模の歓楽郷兼保養地に遊ぶほどの余裕のある身分ではないから、房総海岸を最初は撰んだが、海岸はどうも騒雑の気味があるので晩成先生の心に染まなかった。さればとて故郷の平蕪の村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・――北海道の俊寛は海岸に一日中立つて、内地へ行く船を呼んでいることは出来ない。寒いのだ! しかし何故彼等は停車場へ行くのだ。ストーヴがあるからだ。――だが、そればかりではなくて、彼等は「青森」とか、「秋田」とか、「盛岡」とか――自分達の国の・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・私は小田原の海岸まで保養を思い立ったこともある。その時も次郎は先に立って、弟と一緒に、小田原の停車場まで私を送りに来た。 やがて大地震だ。私たちは引き続く大きな異変の渦の中にいた。私が自分のそばにいる兄妹三人の子供の性質をしみじみ考える・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ そのために東京、横浜、横須賀以下、東京湾の入口に近い千葉県の海岸、京浜間、相模の海岸、それから、伊豆の、相模なだに対面した海岸全たいから箱根地方へかけて、少くて四寸以上のゆれ巾、六寸の波動の大震動が来たのです。それが手引となって、東京・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ で鳩は今度は海岸に飛んで行きました。そこではさきほどの百姓の兄弟にあたる人が引き網をしていました。鳩は蘆の中にとまって歌いました。 その男も言いますには、「いやです。私は何より先に家で食うだけのものを作らねばなりません。でない・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・この線は海岸のすぐ近くを通っているのである。私たちは、海の見える側に坐った。「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」 私ひとり、何かと騒いでいる。「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろ・・・ 太宰治 「海」
・・・故郷のいさご路、雨上がりの湿った海岸の砂路、あの滑らかな心地の好い路が懐しい。広い大きい道ではあるが、一つとして滑らかな平らかなところがない。これが雨が一日降ると、壁土のように柔らかくなって、靴どころか、長い脛もその半ばを没してしまうのだ。・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫