・・・二郎が深き悲しみは貴嬢がしきりに言い立てたもう理由のいかんによらで、貴嬢が心にたたえたまいし愛の泉の涸れし事実の故のみ。この事実は人知れず天が下にて行なわれし厳かなる事実なり。 いかなる言葉もてもこれを言い消すことあたわず、大空の星の隕・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・谷川の水、流れとともに大海に注がないで、横にそれて別に一小沢を造り、ここに淀み、ここに腐り、炎天にはその泥沸き、寒天にはその水氷り、そしてついには涸れゆくをまつがごときである。しかしかれと対座してその眼を見、その言葉をきくと、この例でもなお・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・声かれ血涸れ涙涸れてしかして成し遂ぐるわが事業こそ見物なりしに。ああされど今や君はわが力なり。あらず、君を思うわが深き深き情けこそわが将来の真の力なれ。あらず。われを思う君が深き高き清き情けこそわが将来の血なれ。この血は地の底を流るる春の泉・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・ 河は常よりも涸れている。いつも水に漬かっている一帯の土地がゆるい勾配をなして露われている。長々と続いている畠の畝に数週前から雪が積もっている。寒さは余りひどくなかったが、単調な、広漠たる、あらゆるものの音を呑み込んでしまうような沈黙を・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・華厳の滝が涸れたところで、私は格別、痛嘆しない。けれども、俳優、羽左衛門の壮健は祈らずに居れないのだ。柿右衛門の作ひとつにでも傷をつけないように。きょう以後「人工の美」という言葉をこそ使うがよい。いかに天衣なりといえども、無縫ならば汚くて見・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・水電の堰堤が破れても同様な犠牲を生じるばかりか、都市は暗やみになり肝心な動力網の源が一度に涸れてしまうことになる。 こういうこの世の地獄の出現は、歴史の教うるところから判断して決して単なる杞憂ではない。しかも安政年間には電信も鉄道も電力・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・もちろん涸れた川には流れの音のあるはずもなかった。「わたしはこの草の中から、月を見ているのが好きですよ」彼は彼自身のもっている唯一の詩的興趣を披瀝するように言った。「もっと暑くなると、この草が長く伸びましょう。その中に寝転んで、草の・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・後に知ったことであるが、仮名垣魯文の門人であった野崎左文の地理書に委しく記載されているとおり、下総の国栗原郡勝鹿というところに瓊杵神という神が祀られ、その土地から甘酒のような泉が湧き、いかなる旱天にも涸れたことがないというのである。 石・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・水入は底の光るほど涸れている。西へ廻った日が硝子戸を洩れて斜めに籠に落ちかかる。台に塗った漆は、三重吉の云ったごとく、いつの間にか黒味が脱けて、朱の色が出て来た。 自分は冬の日に色づいた朱の台を眺めた。空になった餌壺を眺めた。空しく橋を・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・ 主として、冬は川が涸れる。川の水が涸れないと、川の中の発電所の仕事はひどくやり難い。いや、殆んど出来ない。一冬で出来上らないと、春、夏、秋を休んで、又その次の冬でないと仕事が出来ない。 一冬で、巨大な穴、数万キロの発電所の掘鑿をや・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
出典:青空文庫