・・・私たちは、ひたすら外交手段による戦争終結を渇望していたのだ。しかし、その時期はいつだろうか。「昭和二十年八月二十日」という日を、まるで溺れるものが掴む藁のように、いや、刑務署にいる者が指折って数える出獄日のように、私は待っていた。 人に・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・ 彼等が最も渇望しているのは女である。「ピーじゃねえ。豚だ。」「何? 豚? 豚?――うむ、豚でもいゝ、よし来た。」 お菜は、ふのような乾物類ばかりで、たまにあてがわれる肉類は、罐詰の肉ときている彼等は、不潔なキタない豚からま・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・君兪は名家に生れて、気位も高く、かつ豪華で交際を好む人であったので、九如は大金を齎らして君兪のために寿を為し、是非ともどうか名高い定鼎を拝見して、生平の渇望を慰したいと申出した。君兪は金で面を撲るような九如を余り好みもせず、かつ自分の家柄か・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・芸術家というものは、例外なしに生れつきの好色人であるのでありますから、その渇望も極度のものがあるのではないかと、笑いごとでは無しに考えられるのであります。殊にも、この男は紅毛人であります。紅毛人の I love you には、日本人の想像に・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・いやらしい、煩瑣な堂々めぐりの、根も葉もない思案の洪水から、きれいに別れて、ただ眠りたい眠りたいと渇望している状態は、じつに清潔で、単純で、思うさえ爽快を覚えるのだ。私など、これはいちど、軍隊生活でもして、さんざ鍛われたら、少しは、はっきり・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・私がその頃、どれほど作家にあこがれていたか、そのはかない渇望の念こそ、この疑問を解く重要な鍵なのではなかろうか。 ああ、あの間抜けた一言が、私に罪を犯させた。思い出すさえ恐ろしい殺人の罪を犯させた。しかも誰ひとりにも知られず、また、いま・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・あさましいまでに、私は、熟睡を渇望する。ああ、私は眠りを求める乞食である。 ゆうべも、私は、そうしていた。ええと、彼女は、いや彼氏は、横浜へ釣りをしに出かけた。横浜には、釣りをするようなところはない。いや、あるかも知れない。ハゼくらいは・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・その渇望が胸の裏を焼きこがして、けれども、弱気に、だまっていた。 高野さちよは、山の霧と木霊の中で、大きくなった。谷間の霧の底を歩いてみることが好きであった。深海の底というものは、きっとこんなであろう、と思った。さちよが、小学校を卒業し・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・東京の荻窪あたりのヤキトリ屋台が、胸の焼き焦げるほど懐しく思い出され、なんにも要らない、あんな屋台で一串二銭のヤキトリと一杯十銭のウィスケというものを前にして思うさま、世の俗物どもを大声で罵倒したいと渇望した。しかし、それは出来ない。私は微・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・ 勿論彼は世界平和の渇望者である。しかしその平和を得るためには必ずしも異種の民族の特徴を減却しなくてもいいという考えだそうである。ユダヤ民族を集合して国土を立てようというザイオニズムの主張者としてさもありそうな事である。桑木理学博士がか・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫