・・・ 渋谷の金王桜の評判が、洗湯の二階に賑わう頃、彼は楓の真心に感じて、とうとう敵打の大事を打ち明けた。すると思いがけなく彼女の口から、兵衛らしい侍が松江藩の侍たちと一しょに、一月ばかり以前和泉屋へ遊びに来たと云う事がわかった。幸、その侍の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・さあこれが旦那様、目黒、堀ノ内、渋谷、大久保、この目黒辺をかけて徘徊をいたします、真夜中には誰とも知らず空のものと談話をしますという、鼻の大きな、爺の化精でございまして。」 八「旦那様、この辺をお通り遊ばしたこと・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・で「小田は十銭持つと、渋谷へばかし行っているそうじゃないか」友人達は斯う云って蔭で笑っていた。晩の米が無いから、明日の朝食べる物が無いから――と云っては、その度に五十銭一円と強請って来た。Kは小言を並べながらも、金の無い時には古本や古着古靴・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ それから二月経過と磯吉はお源と同年輩の女を女房に持って、渋谷村に住んでいたが、矢張豚小屋同然の住宅であった。 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた。自分がかの望みを起こしたのもその時のこと、また秋から冬の事のみを今書くというのもそのわけである。九月七日――「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降り・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・江の島の橋のたもとに、新宿へ三十分、渋谷へ三十八分と、一字一字二尺平方くらいの大きさで書かれて居る私設電車の絵看板、ちらと見て、さっさと橋をわたりはじめた。からころと駒下駄の音が私を追いかけ、私のすぐ背後まで来てから、ゆっくりあるいて、あた・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ それから一時間のち、私は少年と共に、渋谷の神宮通りを歩いていた。ばかばかしい行為である。私は、ことし三十二歳である。自重しなければならぬ。けれども私は、この少年に、口さきばかり、と思われたくないばかりに、こうして共に歩いている。所詮は・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・「夏の靴がほしいと言っていたから、きょう渋谷へ行ったついでに見て来たよ。靴も、高くなったねえ」「いいの、そんなに欲しくなくなったの」「でも、なければ、困るでしょう」「うん」 明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ まず、井の頭線で渋谷に出る。渋谷で品物を全部たたき売る。リュックまで売り捨てる。五千円以上のお金がはいった。 渋谷から地下鉄。新橋下車。銀座のほうに歩きかけて、やめて、川の近くのバラックの薬局から眠り薬ブロバリン、二百錠入を一箱買・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ 十一月二日、水曜。渋谷から玉川電車に乗った。東京の市街がどこまでもどこまでも続いているのにいつもながら驚かされた。 世田が谷という所がどこかしら東京付近にあるという事だけ知って、それがどの方面だかはきょうまでつい知らずにいたが・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫